フォースの破産

─中上健次

 

 “May the force be with you!"

George Lucas “Star Wars

「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ」。

『バガヴァッド・ギーター』

「世の中なんてそんなものだけど、そうでなきゃならないというわけでもなかったろうに」。

ベルトルト・ブレヒト『肝っ玉おっ母とその子供たち』

 

一 時代が終り、時代が始まる

 

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は墜ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ。だが人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではあり得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。

(坂口安吾『堕落論』)

 

 焼け野原に点在するバラックと闇市の間に並木路子の『リンゴの唄』が流れる中、GHQは農地改革や教育改革、財閥解体、労働組合の合法化、女性参政権など占領政策を次々に実施する。このどさくさにまぎれて、腕っ節に自信があり、度胸があって、金に目ざとく、運のいい連中が経済的・政治的に力をつける。中には、戦前から軍・植民地経営の利権によって経済的に蓄えた者や独善的に時代の変化を憂う戦前の天皇制国家主義をひきずる者もいる。不動産業や建設業、運送業などと結びつき、ボスとして君臨するこうした成金は、他人よりいい思いをしたいと豪邸を建て、外車を乗り回し、金で政治家や役人を抱きこみ、言うことを聞かない奇特な人にはちょいとばかし脅しを加え、高級料亭に足繁く通って、男の甲斐性とばかりに、妻以外の女性を妾として囲っている。この欲望の権化は日本各地に登場し、政財界に転出したり、闇の社会を形成したりしていく。エリック・ホッファーは、『波止場日記』の一九五九年四月一五日の件において、「しかし、日本でも老人たちががんばっている。日本の実業界の大立者の多くは古代の遺物みたいだ。上品な郷土という理想の普及が悠長さ、ひかえめな表現、優雅な生活を助長しているようだ。人をおしのけるのはいやらしい。()年をとったサムライの大立者は戦争をするかのように商取引をする」と記している。

 ところが、一九六四年一〇月一〇日に開幕した東京オリンピックを境に、日本列島の風景は改造されていく。昭和三〇年代まで、大阪大学に「構築科」という建築と土木を併せ持つ学科があったが、大型公共事業の需要に応えるには両者は分離していたほうが有効である。「寛容と忍耐」の池田勇人内閣の所得倍増計画に伴う高度経済成長により農村を中心とした伝統的な生産手段・生産様式が衰退し、都市と農村の対立は終わり、日本中で都市化=均質化が始まる。同時に、ロバート・ホワイティングが『東京アンダーグラウンド』で指摘している通り、アンダーグラウンドな社会も消失し、表の社会と裏が決定不能になっている。霞ヶ関や永田町が進めていた政策は外に向いていた帝国主義が敗戦によって変更を余儀なくされ、国内にそれを求めたにすぎない内向的な帝国主義である。永田町は明治時代に陸軍省がおかれていたため、一九三六年に国会議事堂が移転されるまで、「陸軍参謀本部」を指し、霞ヶ関には海軍省や海軍省が置かれている。戦前、永田町と霞ヶ関は最悪の対立関係にあり、手を組むなどありえなかったが、戦後、両者の住人は戦後をある意味で体現する陸軍兵士だった田中角栄によって共同で動いていく。佐藤栄作との権力闘争に勝ち抜いたものの、池田勇人は、東京オリンピックの閉会式の翌日、総理を辞任し、後継に佐藤栄作を指名して、翌年の八月一三日、癌の手術後肺炎により死去する。第三次佐藤栄作内閣の通産大臣だった田中角栄は『日本列島改造論』を一九七二年六月に刊行し、日本列島を高速道路・新幹線といった高速交通網結び、地方の工業化を促進、過疎と過密や公害の問題を同時に解決すると主張している。これが戦後屈指のベストセラーとなるだけでなく、同年七月、角栄は内閣総理大臣に就任し、織田信長を尊敬していたにもかかわらず、「今太閤」と呼ばれる。佐藤栄作は福田赳夫を自身の後継者と考えていたが、田中角栄は自分を含めた佐藤派五奉行──豊臣秀吉政権の役職に由来し、浅野長政・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家の五人を指し、関が原の戦いの際、浅野と前田は徳川家康の側につき、増田と長束は石田と行動を共にする──のうち、橋本登美三郎と愛知揆一を味方につけるなど多数派工作を続け、池田派=宏池会を掌握した大平派との同盟もあって、総裁選で圧勝している。田中派は佐藤派の大部分を引き継ぎ党内最大派閥になったものの、総裁選の結果に憤った保利茂と松野頼三は岸信介の派閥の流れを汲む福田派に合流し、佐藤派は分裂する。自民党史上最も激しい権力抗争、いわゆる「角福戦争」がこのときから始まる。

 早野透は、「田中角栄」(朝日新聞社編『100人の20世紀』上所収)において、角栄が体現した「戦後」について次のように記している。

 

 「戦後」という時代は、田中角栄にはとてもよく水にあったのではないか。「死ぬ」より「生きる」ほうがやはりいい。もう貧乏はいやだ。昨日よりは今日を、少しでも豊かに暮らしたい。建前や虚飾でなく本音で生きたい。働きに働くこと、それには慣れている。それがつまり、角栄たちの「戦後」だった。

 角栄は土建会社を営んで資金をつくる。政界に進出したのは運命の偶然もあったけれど、大きな背景としては、帝国日本から戦後民主主義への変わり目に社会の中枢を担う人材の大幅な交代、若返りがあったことがあるだろう。「若き血の叫び」──四七年の総選挙で新潟三区から立候補、当選するまでの選挙ポスターがそれを表している。

 

 政治は、つまるところ、数と金だ。この社会は、自己顕示欲旺盛な者が嫉妬と憎悪に駆られてライバルを蹴落とし、立身出世を果たしていくのであって、政策といった抽象的なものなどお呼びではない。日本の戦後政治は、韓国の場合、それが「怨」であったとすれば、間違いなく、「業」の歴史である。地縁と血縁、利権といった具体的なものが票をもたらす。政治家に必要なのは知性ではない。「普通の人々」の感覚と官僚を手なづける能力、学者を丸めこめる狡猾さ、議員の子分をつくれる度量である。一九二九年に結成されたメキシコの国民革命党は、一九三四年の大統領選挙で、党内改革派=左派のラサロ・カレデナス候補によって勝利する。四〇年まで続くカルデナス大統領は政党を特定の階級や団体の利益代表ではなく、有権者の利益の調整役へと変更する。最も多い中間層に基盤を置き、貧困層には教育改革・農地改革・労働組合的政策を実施し、保守的な教会を含めた富裕層には愛国主義的・民族主義的な政治見解によって支持をとりつけている。それは、後に、「人民主義」、すなわちポプリスモ(Populismo)と呼ばれ、中南米諸国が採用したけれども、いずれも失敗に終わっている。メキシコ以外は農地改革に手をつけていない。国民革命党は、三八年にメキシコ革命党へ改称した後、四六年、「制度的革命党(Partido Revolucionario Institucional: PRI))」として二〇〇〇年七月に下野するまで七一年間ほぼ一党で政権を維持している。「制度」と「革命」というあまり親しくない二つの概念を結びつける曖昧さは自由民主党以上であろう。外交でも、制度的革命党は合衆国寄りの経済政策を打ち出しつつ、反帝国主義を掲げて社会主義国とも良好の関係を築き、バランスを調整している。カルデナス大統領がスペイン内戦の人民戦線の亡命者を受け入れて以来、制度的革命党は左翼の亡命者に門戸を開放し、文化を活性化している。その中にはレフ・ダヴィドヴィチ・トロツキーやエーリッヒ・フロムがいる。日本の自民党も、制度的革命党同様、「包括政党(Catch-All Party)」として、人民主義的に利益の調整役になり、権威主義的な国家体制を構築している。中選挙区制が派閥の温床と見なされたけれども、戦前も中選挙区制でありながら、派閥政治が生まれなかったのは、誘導するべき利益に乏しかったからである。もはや日本の土地は耕したり、家畜を育てたりする農業の場ではない。土地は金を生み出してくれる。高速道路や新幹線を通し、工場を建てれば、貧しい農村も豊かになれる。日本にはまだまだ使える土地がある。入会地(コモンズ:Commons)などという発想はブルドーザーによって完全に押し潰さなければならない。江戸時代の名残をセンチメンタルに味わっている場合ではない。この政権は都市と地方の経済的格差の是正と集票を目的として、建設業を中心とした公共事業を積極的に実施し、地価の高騰に伴い、不動産業も盛況を迎える。「この土地の土方の力の均衡を破るように出現した受注を、未熟な単に使い走り程度しか出来ない流入して来た労務者を使う事によってやっと消化し、消化出来ない者は潰れ、消化しようとして労務者らの身の安全や休養を顧みずに人をかき集め奴隷を叱咤するように動かす者が一夜にして成り上がるのだ」(中上健次『地の果て 至上の時』)

 田中角栄は。経験的に、ある選挙をめぐる法則を利用している。一九五〇年代から六〇年代、フランスのモーリス・デュヴェルジェ(Maurice Duverger)は、後に「デュヴェルジェの法則(Duverger's Law)」と呼ばれる選挙の法則を提唱する。今ではゲーム理論で補強され、スティーヴン・リード教授(Steven R. Reed)が日本の中選挙区制などを調査し、その有効性が確認されている。各選挙区ごとにM人を選出する場合、候補者数が次第に各選挙区ごとにM1人に収斂していくという法則であり、当初は、全国単位で政党数が次第にM1に収斂する予測と理解されている。選挙方法が単記非委譲式の場合──小選挙区制、中選挙区制、大選挙区制──を想定していたが、完全連記制と大半の比例代表制にも応用可能である。田中角栄はこの法則を経験的に熟知していたため、中川一郎の派閥が衰退すると予想している。実際、中川の自殺後、石原慎太郎がこの派閥を引き継いだものの、資金確保に失敗して維持できず、福田派に吸収されている。田中角栄はこの法則を使って派閥を拡大していく。

 とある湾内や川沿いの焼け野原が国営の干拓事業によって水田化されたかと思うと、減反政策により休耕田となり、列島改造に伴い、砂利採集場として扱われ、その後、工業団地に変えられる。コロコロ変更される政策に翻弄されたこうした光景は日本各地を覆っていく。「現場には、おもしろいおじいさんがいて、私にこんな話をしてくれた。『土方土方というが、土方はいちばんでかい芸術家だ。パナマ運河で太平洋と大西洋をつないだり、スエズ運河で地中海とインド洋を結んだのもみな土方だ。土方は地球の芸術家だ』」(田中角栄『私の履歴書』)。

 内政だけでなく、外交でも、この時期、日本は大きな転換を迎えている、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官の巧みな外交手腕により、千九百七十二年二月二十一日、リチャード・ニクソン合衆国大統領がエアフォース1に乗って劇的に北京を訪れ、頭越しに米中が接近したことに永田町と霞ヶ関は仰天する。慌てて、田中首相は大平正芳外務大臣を伴って海を渡り、千九百七十二年九月二十九日、周恩来中華人民共和国国務院総理と姫鵬飛外交部長との間で共同声明に署名し、日中国交正常化が実現する。それを記念して、中国政府は二頭のジャイアント・パンダ、ランランとカンカンを日本に贈り、上野動物園で、その寝姿で来園者の目を楽しませることになる。

 しかし、一九七四年の第一次オイル・ショックによって急速に景気は落ちこむ。便乗値上げが相次ぎ、インフレが加速し、国内の消費者物価指数で一九七四年は二三%上昇する。インフレ抑制のために公定歩合の引き上げが断行され、企業の設備投資などが抑制された結果、一九七四年は−一・二%と戦後初めて、マイナス成長を経験し、戦後続いていた高度経済成長が終焉を迎える。さらに、同年、立花隆が、『文芸春秋』一一月号誌上で、「田中角栄研究─その人脈と金脈」を発表し、角栄の金権体質と政治手法を暴露して社会に衝撃を与える。一二月九日、田中内閣は総辞職に追いこまれる。

 後釜を狙っていた「三角大福中」のうち「三大福中」から、岸信介派後継をめぐって福田赳夫に一言あった椎名悦三郎自民党副総裁の裁定により、「クリーン」三木武夫が自民党総裁に選出される。その三木にしても、大政翼賛会に参加しなかった数少ない戦前からの政治家でありつつも、自分とはおよそ政治信条があわない福田赳夫や中曽根康弘と手を組み、「バルカン政治家」との異名通りにしたたかさを見せる。三木武夫は内閣総理大臣に就任すると、「偽りのない政治」をスローガンに掲げ、政界浄化・政治改革に執念を燃やす。それは、一九六〇年一一月二〇日の第二九回衆議院選挙に先立って自民党のテレビCMで、池田勇人が「私は嘘は申しません」と発言したことを思い起こさせる。一九七六年二月、ロッキード事件が表面化した際、美樹首相は田中派に強く要請された指揮権発動に応じず、田中角栄の逮捕を容認する。テレビによる国会の証人喚問の実況中継が疑惑をいっそう強く人々に抱かされる。六月二五日、「保守政治の刷新」をモットーに、すでに自民党を離党していた衆議院議員の河野洋平・田川誠一・西岡武夫・山口敏夫・小林正巳と有田一寿参議院議員が新自由クラブを結成する。ほかに、このロッキード事件と一九七三年に起きた金大中事件への党の対応に抗議して、自民党最左派の宇都宮徳馬が離党し、衆議院議員を辞職している。角栄は、七月二七日、受託収賄罪および外為法違反容疑の疑いで逮捕され、それは「総理の犯罪」と呼ばれることになる。

 夏目房之介は、『マンガはなぜ面白いのか』において、「牧歌的な農村の風景が消え、どこへいっても同じような家やビルの建ち並ぶ均質な風景になってゆくのは七〇年代のことでした。大量の商品が日本人をとりまき、管理社会のうっとうしさのようなものが、なんとなく我々を支配し、大きな価値観の変化がおきます。その間に日本経済は第三次産業(流通、サービスなど)中心に移り()、また石油ショックなどを経験し、自分たちが国際的な場面に深く巻きこまれていることを知ります。()誰でも内面に喜怒哀楽はあるが、社会の中、世界の中では、まるで均質な没個性的なものにしか見えない」と指摘する。そんな中、さいとうたかをの劇画『ゴルゴ13』が一九六九年から連載が開始される。それについて、夏目房之介は、同じ著作で、「主人公のゴルゴは、マシーンのように正確無比な職人(狙撃手)で、冷静の極致です()。彼は世界の大国の指導者達を相手にしても、まったく物おじしませんし、逆に彼らに畏怖されています。こういう主人公の造形は、ようやく要約高度経済成長をとげたものの、まだ国際的には二流三流だという劣等感をもっていた七〇年前後の日本人には強力にアピールするもので」、「クールで無表情なゴルゴの完成は、欧米で表情が読めないといわれる日本人の誇張であると同時に、欧米人に対してどうしてもニヤニヤと卑屈な態度をとってしまう日本人の屈折した心理の裏返しです。たぶん日本人は、ゴルゴのようなクールでタフな無表情を欧米人に見せたいと無意識に思っていたのでしょう」と分析する。

 夏目房之介は、『手塚治虫の冒険』において、マンガ界では、むしろ、大友克洋がそうした風景の変化に対応し、マンガの解体・再生をやってのけたと次のように述べている。

 

 大友克洋は、いわば戦後マンガが達成してきた修辞法を打ち消し、解体したあげくに、物語ってものを、自分の修辞法でもう一度読みかえてつくりあげる。それが『Fire-ball』から『童夢』『AKIRA』にいたる80年代でした。

 

 大友克洋はその変容をエレクトロニクスやバイオテクノロジーといったナノテクノロジーと関連する分野を思い起こさせるような新たなタッチで描いている。風景の変化を踏まえ、大友は来るべき世界に向かう。

 風景に結びついている日本近代文学も、同様に、変容せざるをえない。風景の変化を最も敏感に感受した作家が中上健次である。中上は自身が生きてきた戦後というものを描き、それを通じて日本の近代、さらには差別の問題を掘り起こしている。「一人で勝手にハンド・イン・ハンドの気分に浸る読み手は多々あれど、少なくとも、凡そ、物書きほどに、共同幻想なり連帯なりから遠く離れた存在は、この世に無い。そうして、中上健次こそは、『物語』の解体と再生に生涯を賭けた人物ではなかったか」(田中康夫『日本文学が肺炎と貧乏のメンタリティから、未だ脱却し得ない理由』)。『岬』(一九七五)により戦後生まれとして初の芥川賞を受賞しているように、中上には近代文学とポストモダン文学の二つの要素が同居している。中上はジョン・コルトレーンやアルバート・アイラーから影響を受けているが、むしろ、ハービー・ハンコックとして存在している。「昔、スライ・ストーンのレコーディングに加わりたいという望みを持っていたことを思い出したんだ。これは長年の密かな望みで、彼がどうやってあのファンキー・サウンドを生み出すのか、知りたかったんだよ。すると、新たな考えがひらめいた。僕のレコードにスライ・ストーンを使ったらどうだろう?だめだ、それはできない。なぜだ?それはね、ジャズのスノビズムのせいなんだ。本当にやりたいと思っている音楽なのに、レパートリーに入れるのはどうも、という感じがしたんだ。我ながら心の狭さに失望したよ」(ハービー・ハンコック)。また、中上は日本近代文学の主流である自然主義文学から派生した私小説と物語を批判的に継承する。この二つのジャンルを書き得たのは、確かに、中上が初めてではない。芥川龍之介は、作家としての前半期に物語、後半期に私小説を創作しているし、太宰治も私小説と物語を書いている。しかし、中上の試みは、それを洗練させた芥川や太宰と異なっている。中上は私小説と物語の枠組みだけを残して、「達成してきた修辞法を打ち消し」、「自分の修辞法でもう一度読みかえてつくりあげる」。すると、風景が一変し、多様な意味が創出される。ただ、中上は大友と違い、ナノテクノロジーの方向に進まない。むしろ、その風景を変えてしまった技術を文体に体現させる。土木工事の持つ荒々しさと緻密さがそこには見けられる。カール・マルクスは、『経済学批判』において、建築の比喩を用いて、上部構造と下部構造を説明したが、実際に、下部構造という基礎を整えるのも、上部構造という建物を建設するのも土建屋の仕事である。

 土建屋として作品を書く中上の作品の言葉は荒っぽい。芥川や太宰が目指した審美的な日本語のヱクリチュールは中上には書くに値しない。スラングや隠語、卑猥な言葉、方言などを含んだ話し言葉が次のように氾濫している。

 

 兄はいっぱしの革命家きどりで便せんを何枚も何枚も使って、延々と暴力のこと、国家のこと、大衆のことを図入りで書いてきたのだった。革命だって? そんなものはおもちゃの船だ。わかりきったことじゃないか。何度も革命するって? 要するにそんなしんどいことやらなくっちゃいかんのなら、そのままほったらかしにしておけば良いじゃないか。大衆はうつくしい、すばらしいと兄が名指しで言ったおれのヨイヨイのクサレオマンコが、「なんや大きな顔しくさって」と街の最近大手にのしふがった建築業者をけなし、「福ちゃん、お母ちゃんを救けて、はよエラなって、みかえしたって」というその心情が権力を支え、生みだしていることをおまえは知らないだろう。その心情を根底的に革命できるというのか。そんなことわからないおまえなんかに革命ができるはずがない。よしんば成功したとしても、このクサレオマンコの子供のおれが打ち倒してやる。

(『黄金比の湖』)

 

 中上の小説は、決して、語彙が豊富ではない。同じ単語が繰り返される。しかし、それは日本近代文学の小説家の傾向である。

 佐藤紘彰は、『訳せないもの』において、川端康成の翻訳者であるエドワード・ジョージ・サイデンステッカーの次のようなコメントを紹介している。

 

 川端の文章は、たとえてみれば紫式部のそれで、数少ない言葉を繰り返し用いながら綾をつけていく。豪華絢爛な語彙を重ねていく三島とは対照的だ。「思う」ということばをとってみる。川端はそれを何度も使う。それを英訳で一様に”think”とばかりしたのでは面白くないので、状況に応じて別のことばを当てる。『広辞苑』にもいくつかの定義が出ているではないか。ところが、日本の学者はそこに目をつけて苦情を言う。「やさしい」という言葉も然り。

 

 英語では、単調と思われかねないので、同じ単語を用いるのを極力避け、異なった単語で同一の意味を示す。そのため、概して、英米文学の小説は語彙が多くなる。一方、日本語は一つの単語を繰り返し使い、別の意味を表わすことが少なくない。日本語では、「中上健次」という人物について書くとき、その固有名詞を連発するのに対し、英語の場合、それを回避して、「初の戦後生まれの芥川賞作家」、「新宮の小説家」、「『枯木灘』の作者」、「柄谷行人の友人」、「中上紀の父」といった具合に記される。

 ただし、一九九六年、オーストラリアのモナシュ大学日本語学科講師ヨーコ・ピンカートンは、論文『通訳者には編集が許されるか 日本とオーストラリアの通訳原理の比較』において、オーストラリアの通訳原理では絶対に「編集」は許されないと指摘している。「多民族・多文化社会としてのオーストラリアにおける通訳・翻訳は、移民を対象に政府が中心になって促進したコミュニティ通訳が中心であることから『正確さ』(accuracy)、『中立性』(impartiality)、そして『機密を守ること』(confidentiality)が強く要求される。なかでも通訳の『正確さ』については、『いかなる追加も省略も許されない』し、『通訳者は決して面談中に文化的解説を与えてはならない』どころか『たとえ罵りの言葉でも、相手にとって無礼になると通訳者が判断する発言でも、それをぬかしてはならない』と、通訳者の編集行為は厳しく戒められている」(鳥飼玖美子『歴史をかえた誤訳』)

 中上は、川端同様、同じ言葉を連呼する。けれども、「クサレオマンコ」が典型であるように、それは「美しい」日本語を目標にしてはいない。「『末期の眼』という言葉は,芥川龍之介の自殺の遺書から拾ったものでした.『いわゆる生活力というものは実は動物力の異名に過ぎない.僕もまた人間獣の一匹である.しかし食色にも倦いたところをみると,次第に動物力を失って居るであろう.僕の今住んでいるのは氷のように透み渡った,病的な神経の世界である.僕がいつ敢然と自殺できるかは疑問である.唯自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい.君は自然の美しいのを愛し,しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう.けれども自然の美しいのは,僕の末期の眼に映るからである』」(川端康成『美しい日本の私』)。基礎づくりのために、地面を掘り返すように、激しくかつ繊細に、中上は言葉を書く。それはまるでボブ・ディランの歌声だ。

 

Darkness at the break of noon

Shadows even the silver spoon

The handmade blade, the child's balloon

Eclipses both the sun and moon

To understand you know too soon

There is no sense in trying.

 

Pointed threats, they bluff with scorn

Suicide remarks are torn

From the fool's gold mouthpiece

The hollow horn plays wasted words

Proves to warn

That he not busy being born

Is busy dying.

 

Temptation's page flies out the door

You follow, find yourself at war

Watch waterfalls of pity roar

You feel to moan but unlike before

You discover

That you'd just be

One more person crying.

 

So don't fear if you hear

A foreign sound to your ear

It's alright, Ma, I'm only sighing.

 

As some warn victory, some downfall

Private reasons great or small

Can be seen in the eyes of those that call

To make all that should be killed to crawl

While others say don't hate nothing at all

Except hatred.

 

Disillusioned words like bullets bark

As human gods aim for their mark

Made everything from toy guns that spark

To flesh-colored Christs that glow in the dark

It's easy to see without looking too far

That not much

Is really sacred.

 

While preachers preach of evil fates

Teachers teach that knowledge waits

Can lead to hundred-dollar plates

Goodness hides behind its gates

But even the president of the United States

Sometimes must have

To stand naked.

 

An' though the rules of the road have been lodged

It's only people's games that you got to dodge

And it's alright, Ma, I can make it.

 

Advertising signs that con you

Into thinking you're the one

That can do what's never been done

That can win what's never been won

Meantime life outside goes on

All around you.

 

You lose yourself, you reappear

You suddenly find you got nothing to fear

Alone you stand with nobody near

When a trembling distant voice, unclear

Startles your sleeping ears to hear

That somebody thinks

They really found you.

 

A question in your nerves is lit

Yet you know there is no answer fit to satisfy

Insure you not to quit

To keep it in your mind and not fergit

That it is not he or she or them or it

That you belong to.

 

Although the masters make the rules

For the wise men and the fools

I got nothing, Ma, to live up to.

 

For them that must obey authority

That they do not respect in any degree

Who despise their jobs, their destinies

Speak jealously of them that are free

Cultivate their flowers to be

Nothing more than something

They invest in.

 

While some on principles baptized

To strict party platform ties

Social clubs in drag disguise

Outsiders they can freely criticize

Tell nothing except who to idolize

And then say God bless him.

 

While one who sings with his tongue on fire

Gargles in the rat race choir

Bent out of shape from society's pliers

Cares not to come up any higher

But rather get you down in the hole

That he's in.

 

But I mean no harm nor put fault

On anyone that lives in a vault

But it's alright, Ma, if I can't please him.

 

Old lady judges watch people in pairs

Limited in sex, they dare

To push fake morals, insult and stare

While money doesn't talk, it swears

Obscenity, who really cares

Propaganda, all is phony.

 

While them that defend what they cannot see

With a killer's pride, security

It blows the minds most bitterly

For them that think death's honesty

Won't fall upon them naturally

Life sometimes

Must get lonely.

 

My eyes collide head-on with stuffed graveyards

False gods, I scuff

At pettiness which plays so rough

Walk upside-down inside handcuffs

Kick my legs to crash it off

Say okay, I have had enough

What else can you show me?

 

And if my thought-dreams could be seen

They'd probably put my head in a guillotine

But it's alright, Ma, it's life, and life only.

 (Bob Dylan “It’s Alright, Ma (I'm Only Bleeding)“)

 

 中上は、ビル・ヘイリーでも、チャック・ベローでも、エルヴィス・プレスリーでも、ビートルズでも、ローリング・ストーンズでもなく、ディランである。ディランは歌詞に力を与えた初のロック・ミュージシャンであり、ポップ・ミュージックの重要な革命家の一人である。伝統的なフォーク・ソングを美しいハーモニーで歌うカレッジ・フォークに代わって、伝説のフォーク・シンガーであるウディ・ガズリーに自分の後継者と認められ、自作の深く内政的かつ複雑な歌詞を耳障りな歌声に乗せるディランはフォークの可能性を広げて再生させただけでなく、フォークとロックを融合させる。

 小田嶋隆は、『ボブ・ディラン』において、ディランについて次のように述べているが、それはあたかも中上論のようだ。

 

 一九七八年二月のある日、私は、ボブ・ディランの初来日を、日本武道館アリーナ席最前列で迎えていた。

 感動……は、しなかった。

 あまりといえばあまりにぞんざいな演奏と、歌を歌とも思わぬでたらめな歌いっぷりに、なかば、呆然としていた。

 「ヘンな歌ね」

 と、傍らにいる女は言った。

 そう、ヘンな夜だった。

 わかっていたはずなのだ。ディランは甘ったれたデートと両立できるような音楽ではなかったのだ。

 どのレコードを回してみても、パッときいて耳に心地よい音は聴こえてこない。

 「アイ・シャル・ビー・リリースト」のオリジナル録音を知っているだろうか?

 あの、取材に来た雑誌の記者にバックコーラスをやらせてギター一本で吹き込んだ伝説のおざなりテークだ。

 が、それでも、歌そのものは圧倒的に素晴らしかった。

 そうであればこそ私は周囲の「御詠歌かよ?」の声にもめげず、孤独のディランフリークを貫いてきたのである。

 そのディランを目先のあいびきのネタで利用した私は。卑しかった。

 おそらく、その心根の卑しさが、当日のディランの歌を濁らせたのだと思う。

 いま改めて「ボブ・ディランデビュー30周年」のビデオを見て、私は、感動する。

 その、あまりといえばあまりになげやりな歌いっぷりは、ほとんど奇跡みたいだ。

 この日のために駆けつけたエリック・クラプトンをはじめとする英米のスーパースターの中で、ただ一人、ディランだけが素人なのである。

 しかも、その音程さえアヤしい棒立ちのディランを、その日集まったすべての人々が尊敬の目で包んでいるのだ。

 ディランには、カバーされた曲が異常に多い。

 おそらく、人々は、こんなにも素晴らしい歌が、こんなにも粗略に扱われていることを放っておけないのだ。

 だから、世界中の優れたミュージシャンが、ディランの歌を完成させようとせずにはいられないのである。

 聴き手も同じだ。だれもが、ディランの形成過程にかかわっているのだと思う。

 彼女とは、ほどなく別れた。

 

 中上の作品は中上健次が書いたという点において読まれ得ることも少なくない。中上のエッセイは飛躍と独断に満ち、論理も錯綜している。エッセイをエッセイと思わない書きっぷりに唖然とさせられることも一度や二度ではない。小林裕子は、『「時代が終り、時代が始まる」─他者との共振と合一─』の中で、「中上健次の場合、小説よりもむしろエッセイの方が和訳私小説的である。中上という人間の肉体と、出自と、作家歴を持った小説家の言葉として、はじめて完全な意味を成し、魅力も生じる。彼の、時には矛盾し、錯綜する独断と、飛躍の多い文体も、中上健次という小説家の発する言葉として受取れば、納得も行く。さもなければ、昨日黒と言っていたものを平気で白と言い変えるような、矛盾をものともせぬ天衣無縫な語り口に、読者はとてもついていけないだろう」と言っている。また、未完の小説も数多い。死によって中断せざるを得なくなった晩年の小説だけでなく、『宇津保物語』を構成するはずだった一連の作品のように、放棄されてしまったものもある。しかも、中上を論じる批評や論文は、一九四六年八月二日に生まれ、一九九二年八月一七日に亡くなった作家としては、信じがたいほど、膨大な量に及ぶ。「こんなにも素晴らしい」作品が「こんなにも粗略に扱われていることを放って」おけず、それを「完成させようとせずにはいられない」のであり、「形成過程にかかわっている」からである。

 こうした中上の土木のレトリックは、言うまでもなく、デビュー直後から見られるわけではない。『岬』に始まる紀州サーガから使われ始めている。けれども、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』に当たる『岬』よりも『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』に対応する『枯木灘』(一九七七)においてその傾向は明確に表われている。

 『枯木灘』の主人公秋幸は義兄が経営する土建請負業竹原組の人夫頭をしているが、土木工事を次のように感じている。

 

 掘り方で四日かかるところをショベルカーは一日で土を掘りおこした。それは土を掘るのではなく、土を地表からむしり取る感じだった。土はどうしようと土に違いなかったが、秋幸には、つるはしで掘り起こしシャベルですくった土と、機械でえぐり取りむしりとった土はあきらかに違っているように見えた。筋肉を使いつるはしで掘った土は、いつも息をしていた。掘り起こして濡れた土は白く乾き、乾き死ぬまで風の音、草の葉ずれの音、蝉の声に共鳴した。土の息の音は、掘る者の息の音だった。

 土は秋幸だった。いや、土だけではなく土をあぶる日、日を受けた木、梢の葉、息をする物すべて秋幸だった。むしり取った土がそっけない。腰を入れ腕と腹に力を入れ打ちこんだつるはしの痛みに呻くことがなかった。快楽に声をあげることはない。

 

 この自然環境に向かう自己と対象の入れ換えや同一はジャン=ジャック・ルソーの『告白』以来、近代小説によく見られる表現である。また、暴力とエロティシズムを暗示させるレトリックも、デヴィッド・ハーバート・ロレンスや有島武郎などキリスト教道徳に異を唱える小説家たちにしばしば使われている。しかし、ここで重要なのは対象が土地であり、建設を待っているものだという点である。高度経済成長以来、土地に関する日本人の認識が変わったように、中上にとって、長塚節と違い、土は農業の対象ではない。ただし、中上は自作について「切って血の出る物語」(『紀州』)と呼んだが、それを捩れば、秋幸が求めるのはあくまで「切って血の出る」土木作業である。機械で「土を地表からむしり取る感じ」の日本列島改造論的な工事ではない。機械を使った土木工法には「快楽」がない。これは「隠喩としての建築」(柄谷行人)ではなく、「隠喩としての土木」だろう。

 『枯木灘』と比較すると、『岬』では、その冒頭が次のように示している通り、土木のレトリックはまだ強調されていない。

 

 地虫が鳴き始めていた。耳をそばだてるとかすかに聞こえる程だった。耳鳴りのようにも思えた。これから夜を通して、地虫は鳴きつづける。彼は、夜の、冷えた土のにおいを想った。

 姉が、肉の入った大皿を持ってきた。

 

 『枯木灘』以後の中上作品の文体には、大型重機と「つるはし」で地面を掘り起こすような感触との拮抗が見られる。時代は大型重機を使った土木工事が主流であり、それが日本の風景を変えているのが事実としても、中上はその傾向に承服していない。『岬』にはそうした弁証法がまだない。先行する河野多恵子や古井由吉などの痕跡が色濃く残っている。風景の変化を捉えていても、それを行ったものをレトリックにするには『枯木灘』を待たなければならない。

 中上作品において部落差別の問題を無視することはできないが、中上の土木のレトリックもそれを顕在化させている。江戸幕府は、原則的に、被差別部落の人々に農業への従事を禁止している。室町幕府が交易を中心とした銭の経済に立脚していたのに対し、徳川体制は、鎌倉幕府同様、米の経済体制である。その意味で、江戸幕府は鎌倉に後退している。被差別部落民は幕府に対して銀を年貢として収めており、むしろ、貨幣経済に基づいている。今日の被差別部落への差別の考察に、古代まで遡行する必要はない。なるほど日本の差別は、中国から律令制と同時に入っている。日本の古代社会には、中国から国家編成の法典である律令と共に、良民と賤民の選別も移入される。日本の賤民は、インドや中国同様、「色」によって区別されている。ただ、インドと違い、四色ではなく、中国からの影響のため、五色であり、「五色の賤」と呼ばれている。これは捕虜や犯罪による身分降下、人身売買や債務による奴隷化などの社会現象を法律で固定したものだったが、平安末期の律令制解体によって解消している。しかし、その後も、封建的な身分制度や共同体形成、仏教の穢れの観念による影響に基づき、さまざまな賤民制が発生している。けれども、中世の被差別民は身分制度がまだ固定していなかったため、社会集団内で厳しく差別されていたわけではなく、人々から無視された存在である。現代にまで続く被差別部落問題は、むしろ、近世以降に出現している。近世に入り、統一権力が登場すると、士農工商への身分の徹底化・固定化が図られ、賤民も再編成される。特に、豊臣秀吉の太閤検地や刀狩令、身分統制令、人掃令などを引き継いだ江戸幕府は賤民身分を差別的統制下に置いて支配の維持に利用している。差別が偏見から、制度になったのである。一八七一年(明治四年)、明治政府は解放令を発表したけれども、現実の差別問題は依然として残される。土地を農業の対象と見なす文学は江戸幕府以来の土に秘められた差別のドグマから脱却できていないと言わざるを得ないだろう。

 土木は近代文明を人々に最も実感させるものの一つである。土木工学は近代に入って急速に発達している。確かに、大型の土木事業はピラミッドやジグラット、モヘンジョダロの大浴場、万里の長城、ガリア水道など古代から行われている。文明には巨大土木事業がつきものである。しかし、一八世紀半ば以前、大規模な建設作業は軍事エンジニアの仕事である。当時、地形図の作成・配置・設計、道路、橋、砦やドックの建設は軍事工学に含められている。この点を考慮すれば、資本主義を克服するはずの社会主義体制は専軍であり、むしろ、近代以前に逆戻りしている。また、アメリカの陸軍工兵隊は。軍用の工事のみならず、採算の点で民間にそぐわない公共事業も担当している。日本語の「土木」が中国の故事「築土構木」に起源を持っているのに対し、英語で、それを「シヴィル・エンジニアリング(Civil Engineering)」というのは、そうした民間転用の歴史に由来しているからである。産業革命が発展した一九世紀になって、機械の使用が増加すると、機械工学が工学の一部門と見なされ、ゴールド・ラッシュに伴い、鉱山工学も同様に認知される。工学は産業の発達とパラレルに専門化・細分化が進み、近代化を人々に最も実感させている。二〇世紀の社会経済環境の要求が工学の領域をさらに広げる。近代的な土木工学は、黒船が江戸の人々を恐れおののかせ、陸蒸気が明治の国民を仰天させたように、伝統的な風流観にそぐわない風景を出現させる。

 しかも、ジョン・メイナード・ケインズは、一九三六年、『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、大型公共事業を効果的に使えば、赤字公債を発行しても、インフラを整備できるだけでなく、未曾有の経済的不況からでさえ脱却可能だと大胆に主張する。フランクリン・D・ルーズベルトのケイジアン政策は必ずしも成功したわけではなかったが、戦後の日本の自由民主党政権はほぼ一貫してそれを内向した帝国主義として実施し、驚異的な経済成長を達成する。反面、一九六五年、第一次佐藤内閣が初めて赤字国債を発行して以来、その総借金額は二〇〇五年三月末現在において六二六兆三六三三億円である。自民党政権はガソリン税や財政投融資など考えうるだけの公共事業の財源を編み出し、さらに、官庁も参加し、談合・天下りのシステムも整えられる。学会も、乗り遅れてはいけないと、政官財に癒着し、御用学者にすぎない専門家はその筋の権威として政策に正当性を与えている。公債を完全に償還する見通しはいまだ立っておらず、日本を破産に追いこむのではないかと危惧されている。「ケインズの新しい点といえば、まず第一に、ほとんどもっぱら集計的、マクロ経済的変数だけを用い、経済全体を商品、債権、労働の三市場にまとめる傾向であり、第二に短期的分析だけに集中して、先行者の主要分析の焦点だった長期分析は片隅に閉じ込めておく傾向であり、第三は経済状態を変化させるものに対する調整の比重全体を、価格よりもむしろ産出量と所得にかける傾向であった。全体としての経済にとっての均衡というものが、いまや『失業均衡』をも含むものになり、このように表面上矛盾する用語が導入されたことによって、競争という力が、究極的には経済を完全雇用という安定状態に自動的に向かわせる、と常に信じてきた当時の経済学者たちの見解に、大きな変化がもたらされたのである」(マーク・ブローグ『ケインズ以前の100大経済学者』)

 柄谷行人は、関井光男との対談『闘争する知性と文学』の中で、中上健次を「保守本流」と呼んでいる。この比喩は中上が自然主義文学の系統にある小説家であって、傍流の作家ではない点を言い表しているが、別のことも示唆している。中上は自民党の保守本流政権の政策による風景の変化に敏感な作家である。保守本流は吉田茂の系譜上にある派閥──主に池田派と佐藤派──を指す。中上健次が作家として活動を始めたのは、赤字国債が発行され、「切って血の出る」土木の時代が終わり、後に「土建国家」と揶揄されるきっかけとなった時期である。東京オリンピックの担当大臣だった河野一郎の派閥の後継者である元海軍将校中曽根康弘の保守傍流政権の頃より人気を獲得する村上春樹と違い、伝統から断絶しているわけではない。「このシャバは君たちの思うようなシャバではない。親分が右と言えば右、左と言えば左なのだ。嫌なら、この派閥を出ていくほかはない」(金丸信)

 中上は保守本流としてリベラルさを見せる。中上も、坪内逍遥以来の前例に則り、青春文学『十九歳の地図』(一九七三)を発表している。この「ジャパニーズ・グラフィティー」の主人公は高校生でも大学生でもなく、大学進学に備える予備校生である。戦後文学は新たな青春を描いて登場する若手作家によって活性化されている。しかし、新聞販売店に住みこむ予備校生の「ぼく」は、石原慎太郎の『太陽の季節』と違い、若さを謳歌してもいないし、三田誠広の『僕って何』と異なり、モラトリアムに陥ってもいないし、悩みを抱えて悶々としてもいない。配達区域の人間を処刑しようと地図を描き、脅迫電話を掛けまくる。「ぼくは完全な精神、ぼくはつくりあげて破壊する者、ぼくは神だった。世界はぼくの手にあった。ぼく自身ですらぼくの手の中にあった」。世界に対して破壊したいと呪っているが、やっていることは子供っぽく、近所への脅迫電話という有様である。爆弾や銃火器を使って政府や官庁、大企業を脅すわけでもない。本人がその滑稽さを自覚しておらず、しかも「かさぶただらけのマリア」に救いを求めずにはいられない。「ぼくはとめどもなく流れだすぬくもった涙に恍惚となりながら、立っていた。なんどもなんども死んだあけど生きてるのよお、声ががらんとした体の中でひびきあっているのを感じた」。これにより第六九回芥川賞の候補作に選ばれるが、中上は妻子持ちの二七歳のときに書いたのであり、青春文学の制度へのユーモアがある。「テレビは真実を伝えてくれるので、私は直接テレビから国民の皆さんにご挨拶する。テレビはどこだ?偏向的新聞は大嫌いだ。NHKのテレビはどこにいる?真中に出なさい」(佐藤栄作)。

 あらゆる面で、一つの時代が終り、一つの時代が始まる。中上健次はそのときに登場したのである。

 

It is a period of civil war.

Rebel spaceships, striking

from a hidden base, have won

their first victory against

the evil Galactic Empire.

During the battle, Rebel

spies managed to steal secret

plans to the Empire's

ultimate weapon, the DEATH

STAR, an armored space

station with enough power to

destroy an entire planet.

Pursued by the Empire's

sinister agents, Princess

Leia races home aboard her

starship, custodian of the

stolen plans that can save her

people and restore

freedom to the galaxy....

(George Lucas “Star Wars Episode IV A New Hope”)

 

二 島崎藤村をこえて

 

War! The Republic is crumbling

under attacks by the ruthless

Sith Lord, Count Dooku.

There are heroes on both sides.

Evil is everywhere.

In a stunning move, the

fiendish droid leader, General

Grievous, has swept into the

Republic capital and kidnapped

Chancellor Palpatine, leader of

the Galactic Senate.

As the Separatist Droid Army

attempts to flee the besieged

capital with their valuable

hostage, two Jedi Knights lead a

desperate mission to rescue the

captive Chancellor....

(George Lucas “Star Wars Episode III Revenge Of The Sith”)

 

 多くの論者が指摘している通り、中上健次が真に「中上健次」になったのは短編集『化粧』(一九七八)に収録された作品群の執筆を通じてである。これらは『岬』や『枯木灘』と同時期に書かれており、『岬』から『枯木灘』への転回の過程が明らかになっている。この短編集は中上が大江健三郎や内向の世代の熱心な読者だったことだけでなく、日本近代文学の根源に迫り始めたことを示している。鈴木貞美は、『「化粧」を読む』において、『化粧』について「暗い血の荒ぶりを既成の文体によって掬いあげるのではなく、その間に拮抗をはらませてふくれあがる文章の魅力である」と言っている。中上は既成の方法論を先鋭的に用いて、近代文学の起源それ自体を掘り起こそうとする。『化粧』の作品群は熊野や紀州を舞台にして、私小説と物語によって構成され、民俗学的な示唆に富んでいる。日本の民俗学は柳田國男と折口信夫の二人を源流にしているが、柳田の手法は私小説的であり、折口は物語的である。と言うよりも、西洋から伝来した民俗学を柳田は私小説、折口は物語にそれぞれ読み替えたのであり、柳田と折口の民俗学が私小説と物語、すなわち自然主義文学を生み出している。柳田も折口も優れた文学者だったということを思い起こさねばならない。中上は日本近代文学が「達成してきた修辞法を打ち消し」、「自分の修辞法でもう一度読みかえてつくりあげる」ことにより、その忘れられた記憶を思い出させる。

 この『化粧』を踏まえて、日本近代文学に対する包括的な批判が企てられた『枯木灘』を中上は執筆する。紀州サーガは中上健次の家族関係をモデルにしているけれども、それはきっかけであって、実際とは異なっている。紀州の被差別部落の「路地」を舞台にした『枯木灘』は『岬』の続編であり、エディプス的主題を秘めた物語である。主人公竹原秋幸の家族構成は複雑である。秋幸は父浜村龍造と母フサの「私生児」として生を受ける。小学二年生からフサに連れられて、竹原繁蔵と暮らすものの、フサの前夫ですでに亡くなっている西村の姓を秋幸は名乗っている。フサは故西村勝一郎の間に五人の子供を儲けている。中学を卒業するとき、母が再婚し、義父の繁蔵が認知するということで竹原の籍に入るが、その際、母は秋幸だけ連れていく。しばらくして、秋幸の兄郁男は自殺し、姉美恵は発狂してしまう。そうした血縁の煩わしさを忘れるために、秋幸は土建業に励み、土と格闘する。実父の浜村竜造は占領下にのしあがり、金と暴力、性にまみれ、「蝿の王」と呼ばれる悪どい男である。秋幸は日を浴び、木や草や石と交感するとき、龍造を超えた感じがする。秋幸は龍造の体現する戦後に異を唱える。しかし、タブーを屁とも思わない倣岸不遜な龍造の存在自体が秋幸を苛立たせる。秋幸は、『岬』の出来事、すなわち龍造が別の女に生ませた異母妹のさと子と寝たことを告白する。だが、龍造は「しょうないことじゃ、どこにでもあることじゃ」と笑ってすませ、近親相姦を悪とも罪とも思わない。暴力とエロティシズムによってさらなる悪を具象化し、既存の悪を超える試みは、つるはしでパワーショベルに挑むように、お話にならない。もはや龍造を殺すほかないと追いつめられていたけれども、秋幸は龍造の子で異母弟の秀雄を殺してしまう。

 この『枯木灘』で中上が最も問題にしたのは日本近代文学のプロトタイプである島崎藤村の『破戒』(一九〇六)である。

 藤村は次のような文体で『破戒』を書いている。

 

 丑松は大急ぎで下宿へ帰つた。月給を受け取つて来て妙に気強いやうな心地になつた。昨日は湯にも入らず、煙草も買はず、早く蓮花寺へ、と思ひあせるばかりで、暗い一日を過したのである。実際、櫂中(ふところ)に一文の小使もなくて、笑ふといふ気には誰がならう。悉皆(すつかり)下宿の払ひを済まし、車さへ来れば直に出掛けられるばかりに用意して、さて巻煙草に火を点けた時は、言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。

 

 ここでは、活用語尾は過去形である「だ」に統一され、現在形は主観的見方の場合に使われている。言文一致体は資本主義的価値観が浸透しているため、読者=語り手=登場人物の三者の関係が平等に見えなければならない。語り手は、この場合、「国民」、すなわち成人男性である。決して女性でも、中性でもない。「国民(Nation)」は、「エトノス」のような前近代的で、緩やかな共同意識と違い、強固な均質性に基づいている。国民国家において、「国民」は公教育と常備軍、普通選挙を通じて生産されるが、戦前、女性に選挙権や高等教育への機会がなかったように、それはあくまでも健常の成人男性を意味しているにすぎない。登場人物と語り手が混在化することを通じ、読者も登場人物と一体化する。しかし、その因果関係は語り手によって整理されている。

 『破戒』は日本文学における近代化運動の結実である。この作品は過去形に統一された三人称の語り、内面の変化、近代化しつつあるローカルな風景の描写が見られながら、国民国家の理念に反する被差別部落問題を主題にしている。小学校教師の瀬川丑松は被差別部落出身であり、出自を明かしてはならないという父からの戒めを守り続けるけれども、心の葛藤に苦悶する。学校は、近代日本において、近代化を布教する教会の機能を果たし、教師は宣教師に譬えられる。下宿先の蓮華寺の養女風間志保との愛と出自を隠さずに偏見と闘った思想家猪子蓮太郎の著作に触れたことにより、丑松は児童たちにすべてを告白し、新しい世界を求めてテキサスに旅立つが、それを志保や児童、同僚が差別意識に満ちた校長の命令に反して見送りに来る。この産業資本主義の動力源である蒸気機関を思い起こさせる圧縮=開放の物語は近代小説の国民国家的イデオロギーを体現しつつ、それを批判するという両面性を兼ね備えている。また、近代小説は三面記事的なスキャンダルを描くために、モデルを求める。丑松は長野県飯田市出身の教育者大江磯吉がモデルである。大江はその出自に対する偏見から長野県での職を追われ、各地の学校を転々とした後、三四歳の若さで兵庫県柏原中学校長に就任している。さらに、部落出身者ではない藤村が書いたため、『破戒』は全国水平社から差別語の多用や丑松の消極性などの理由で糾弾され、スキャンダルになっている。『破戒』は完璧な国民文学であり、日本近代文学はこの小説を参考にして発展してきたのである。

 中上の紀州サーガはこの『破戒』に対する全面的な転倒を果たしている。近代小説の語り手は不在の視点であり、登場人物をすべて一人称化する目的を秘めている。主人公は、近代小説において、国民であるが、丑松は被差別部落出身者であり、近代化の理念とその矛盾を体現している。一方、紀州サーガでは、主人公だけでなく、語り手も被差別部落出身者である。もちろん、中上以前にも、西方万吉から土方鉄など被差別部落出身の多くの文学者がサバルタンの告発を続けている。しかし、『破戒』の決定的な批判は、語りを考慮しただけでも、中上によって初めて可能になったことが明らかである。

 三浦雅士は、『主体の変容』において、一九七四年九月に発表された『修験』に着目し、一人称から三人称への語りの変化が『岬』を用意したと指摘している。

 

 法事は、七時から行われるはずだった。美恵はいつも義父が使っている部屋に、坐っていた。台所で、母と芳子が、下働きに来てくれた女の人夫や、近所の女と、話していた。閉めた襖越しに、その声がきこえた。黒の着物は姉によく似あう、彼はそう思った。髪をときつけ、薄く化粧をしたこの姉は、他の誰よりも、姉たちの死んだ父親に似ている。義父の声と文昭の声がした。子供たちの騒ぐ声がした。「しんどいのか?」と彼は訊いた。彼に答えようとして、声がかすれるのであきらめ、首を振った。姉は彼をみつめた。

 彼は姉にみつめられることが苦しく、台所へ行った。芳子が母と話していた。芳子は着物を着たほうが、老けてみえた。

 

 三人称によって視点は主人公から離れることになる。主人公が中心的な登場人物であっても、その世界を支配しているわけではない。

 けれども、この『岬』の語りは、先の引用と比較する限り、『破戒』からそれほど離れてはいない、自然主義文学以来の伝統を相続しただけで、それをまだ十分に調査・整理しきれていない。

 柄谷行人は、『二十歳、枯木灘へ』において、『岬』から『枯木灘』への転回を人称代名詞の消失に見出している。

 

 『枯木灘』がフランス語に翻訳されたとき、人称代名詞が使われたのは当然である。しかし、日本語で「彼」や「彼女」と言うときに或る違和感が残るということに鈍感な作家は屑である。「彼」や「彼女」といった瞬間に、あたかも個人からなる市民社会というようなイメージが生じる。明治の日本あるいは今日の日本においても、それは一種人工的な世界である。私小説家が拒否したのはそのような抽象物である。彼らは家族関係のような具体性以外を認めなかった。その結果、私小説的世界は著しく狭隘となる。しかし、それに対して「社会的」次元で書かれた作品は、わずかの例外をのぞいて、まさに空疎であることを余儀なくされる。実際、中上健次に即していえば、日本における被差別部落の問題は、この社会が家族・擬似家族的関係の延長としてありつづけていることの証左であって、それを無視して書かれる人間関係が空疎でしかないのは当然である。

 私小説家はそれを無視しなかった。というよりも、それ以外の関係を空疎なものとして斥けたのである。その意味で、中上は私小説から出立しなければならない。私小説は少なくとも、われわれが誰でもそこに生まれてくる家族の「関係」を問う。本質的には、そこでは名前は不要である。なぜなら、問われるのは母や父という「関係」であるから。だが、一方、私小説はそれ自体近代小説の構え、すなわち、「私=彼」という装置のなかにある。つまり、一切の関係は「私=彼」との関係において把握される。中上が『枯木灘』においてそのような装置を否定したことはいうまでもない。かといって、私小説の否定が第三人称客観描写による虚構などによって可能であるかのように考えてはならない。それはたんに空疎な小説を作り上げるだけだから。

 

 人称代名詞は言文一致運動の過程で二葉亭四迷によるイヴァン・セルゲイヴィチ・ツルゲーネフの『あひゞき』の翻訳から徐々に出現している。東アジアにおいて、伝統的に、目下に対してであっても、名前ではなく、肩書で呼ぶのが通例である。名前で呼ぶことができるのは名づけた親だけである。名前で呼ぶことは相手を支配しているという意味だからだ。肩書きは社会的なものであるが、名前は家族関係を表象する。『枯木灘』も、雑誌連載時には人称代名詞が使われ、しかも連載二回目以降になって、登場人物に名前をあたえていたくらいで、単行本化された際、それが消え、逆に、不自然なまでに名前が濫発されている。

 中上は、『物語の系譜』において、連載二回目からの変更について次のように述べている。

 

 〈その男〉という呼称を〈浜村龍造〉と名づけた途端、あったのかなかったのか分からぬ国家成立以前から国家管理の完了した現在の物語=法・制度まで物語なるものの歴史を追体験するのだと言ってよい。それをさらに、〈その男〉を名づける事によって背負わざるを得ない宿命だと言い直してもよい。そして、名づけた途端、由緒、出所来歴は当然の事ながら付随する。(〈その男〉の本質は変らないが、物語によって隠蔽され、転倒して物語が本質になったのである。)

 

 西洋の神話や叙事詩において、登場人物の名前は重要である。それはたんに登場人物の区別だけでなく、ある意味がこめられ、固有の関係を内包しているからである。関係はつねに別の関係に照らし出される。カインはヘブライ語で「獲得されたもの」、アベルは「息」や「蒸気」を指し、カインとアベルの関係は以降の登場人物たちの関係に投影される。現在の登場人物の関係は過去と未来の人物の諸関係にも投影される。神話や叙事詩の登場人物の関係は複雑で把握しがたい。名前の数が少ない西洋では、三人称の近代小説であっても、文学においてその投影が入りこみ、それを使う。Namen ist omen.

 桑原武夫は『文学入門』の中で「訳の問題じゃないか、どうもロシア語の小説は名前が幾通りあって閉口する」と言っているが、これは「訳の問題」ではない。ロシア人の名前は、一般的に、「名」+「父称」+「姓」で成り立っている。「イヴァン・セルゲイヴィチ」は「セルゲイの息子イヴァン」という意味である。女性の場合、「娘」を指す「─ヴァナ」を使い、「セルゲイの娘」であれば、「セルゲイヴァナ」となる。敬意をこめて相手を呼ぶときには、この「名」+「父称」を用いる。さらに、呼称が、TPOに応じて、使い分けられる。こうした点から、ロシアの小説には名前が氾濫することになる。なお、ロシア語にw音はなく、それはv音である。「シャラポワ」ではなく、「シャラポヴァ」が正しい。

 日本でも、本来、名前は地域性・世代性・出自性・歴史性を表わしている。近代以前は、もっと明確である。徳川家康は「徳川次郎三郎源朝臣家康」と言い、「徳川」が苗字、「次郎三郎」が通称、「源」が氏、「朝臣」が姓、「家康」が諱、すなわち本名である。氏と姓の違いは古代中国に由来する。姓は部族集団であり、氏が氏族にほぼ相当するが、大和朝廷では、氏は血縁を中心にした擬制的同族集団を指し、姓は家柄や職能を表わす称号として用いられたもので、身分序列が反映されている。一九七〇年代以降の日本の作家の多くはこの点に関して絶望的に鈍感であるけれども、紀州サーガにおいては、名前もある意味を帯び、特に、世代を表象している。「フサ」というカタカナ二字の名前は昭和以前の女性によく見られるし──藩によって三文字の場合もある──、さと子という「子」のつく名前は昭和生まれの女性に多い。ひらがなやカタカナの「仮名」は漢字が「真名」と呼ばれていたのに対する二次的な文字という扱いを示している。また、「イクオ」あるいは「郁男」という名前は、大山郁夫に感銘を受けた名付け親によって、昭和一五年くらいまでに多い名前である。アメリカやドイツへ留学し、大正デモクラシーの代表的な思想家の一人である大山郁夫は最左翼の合法無産政党である労働農民党の全国執行委員長に就任して、早稲田大学教授の職を追われている。大山は、その後、無産運動の指導者として労働農民党解散後も新労農党を結成し、一九三〇年(昭和五年)には衆議院議員に当選している。しかし、満州事変と共に活動の場を失い、政治的にも孤立して、三二年、アメリカへの亡命を余儀なくされる。さらに、主人公の「秋幸」は天皇に関連する名前である。「秋」という字は稲を収穫するという意味があり、転じて、その季節を指し、どちらかと言えば、「イクオ」同様、農業的な趣があり、その点では、アイロニカルであろう。しかも、一九四六年一月一日、天皇の人間宣言を行い、新潟県柏崎市の飯塚邸に一〇月一〇日から一二日まで滞在し、初秋の樹木の美しいその庭を散策し、後に、そこを「秋幸苑(しゅうこうえん)」を命名している。同時に、被差別部落出身者も加わった大逆事件の理論的指導者とされる幸徳秋水も彷彿させる。このように見てくると、中上が小説の登場人物に業とも言えるような意味をこめて命名していることが明らかだろう。

 一方で、『化粧』などの時空間が曖昧な物語群では、登場人物は「男」や「女」といった名称で呼ばれている。「それは或る典型に付せられた記号である。いいかえれば、これも関係(構造)につけられた任意の名である。したがって、中上が『枯木灘』で人称を拒否し人物に名を与えたとき、彼は私小説と物語の両方を内在的に越えようとしたのだということができる」(『二十歳、枯木灘へ』)

 名前に関して繊細な感受性を示す中上は、中でも、地名に対しては並々ならぬ意識を持っており、『新宮』において、それを次のように見せている。

 

 新宮を、シングゥと呼ぶのは、東京弁である。シング、それが正しい。シングゥのイントネイションは尻下がりであり、シングは尻上がりである。土地の者で、シングゥなどと発音する者はいない。新宮から熊野川沿いに上ったところにある本宮も、シングと同様、ホングである。熊野の三社がある土地の二つ、ホング、シングがそうなら、那智も、ナチではない。ナチである。

 話し言葉と書き言葉の一致は、いまだかつて充分ではないし、また到底一致するとは思えぬが、新宮を、シングと発音すると、原初の響きがある。この国の歴史にも、この国のどの地図にも書き記されていない未開の、処女の、原初の土地が、紀伊半島、紀州、熊野の里に在った、そんな気にもなる。

 その新宮は、何度考えても不思議な土地だ、とこの新宮に生まれた私は思う。新宮の土地に降りたって、まさに原初の、記紀の時代からこの国の神話に登場するこの土地が、やはりここは異貌の国、大和に平定された隠国というのがふさわしい、と思った。だから、と言ってよい。隠国・熊野だから、この新宮、シングは、いつも様々な貌(かお)を持つ。熊野信仰の中心地でもあったから寺社町であり、紀州藩水野出雲守が治める城下町であった。熊野川の川口付近に出来た池田港や川原につくった川原町を中心とした交通の宿場町であったし、商業の町でもある。実際とらえどころがない。吉野熊野国立公園の真ん中にある観光の町としてレッテルを貼りつけようとしても、市内に観るべきものもないし、温泉も出ない。観光というレッテルには間尺があわない。

 その新宮が、紀州、紀伊半島をめぐる旅の出発点だった。

 昔、熊野へ至る道に、伊勢路、大辺路(おおへち)、中辺路(なかへち)とあったように、今も新宮に行く道は三本ある。名古屋から松阪を通り尾鷲を抜けて来る海岸沿いの道と、大阪から田辺、白浜を抜けてくる道、後一つは、奈良から十津川を通り本宮を越えてくる道である。新宮は三つの道路が集結した土地である。新宮がとらえどころのない町であるのは、この三本の道(最近、東京からのカーフェリーがついたので、いま一つ道が出来たが)のどれをとるかによって、新宮は、違った貌をした土地に見えることで証明できる。私は、昔で言えば伊勢路、名古屋から新宮についた。紀伊半島海岸沿いの土地がどこをとってみてもそうであるように、この新宮という土地も海に面している。海に腹をさらしていると言おう。海は太平洋である。人口四万弱、この新宮に三代住んでいる家はほとんどない。何が原因しているのか、即答は出来ぬが、人が移動している事は確かである。石とレンガの家ではなく、紙と木、草と木の家は、西欧の建築様式から言えば折りたたみ可能な建物であるが、人はその家を持って移動している、そう私は思った。

 新宮という土地は大きく二つに分かれている。いまはもう跡かたなく削りとられたが、土地の真ん中に龍が臥したようにあった臥龍山(がりゅうざん)を境にして、海寄りを熊野地、熊野の山々とその臥龍山に挟まれるようにあったところが新宮。その新宮を、よく人は、まち、という。単に繁華街というより、開けた場所という意味で、使うのである。

 かつてまちの中を、熊野川が流れていて、それが証拠に、まちのどこを掘っても、丸い角の削りとられた石の出てこない場所はない、と玉置さんは言った。ちょうど雨が降っていた。雨は、この土地では、よく降る。雨の音をききながら思い出した。その時も雨が降っていた。いつぞや帰郷した折、高校時代の文学仲間の弟を連れ出して、彼らの出身地である瀞(どろ)へ行った時だった。文学仲間は、出奔していた。

 仲間は高校時代から、十津川村瀞で医者をしていた死んだ父親の遺産を手に入れ、一軒屋に住み、本を大量に買い込み、レコードを買っていた。私はうらやましくてしようがなかったのだった。今から思えば不思議な話であるが、私の居た土建業を営む義父の家では、本などなかったのである。貧乏で買えなかったのではなく、本を買うに足りる金、レコードを買うに足りる金を親に言えばくれもしたが、言い出せなかったし、また人が本を読む、人が音楽を聴くという習慣などその家にはなかった。本を読む、音楽を聴くとは衰弱した無用の者のやる事だ、という頭が、私の親にはあった。その時は、うらんだ。親らの無神経を、俗物性を、憎んだ。

 その「水の行」の事件を聴いた時、思い出したのは、そのうらみ、憎しみである。血と血が重なり、腹と腹がこすれ合うここで、私が生活し続けていたら、私こそ、そのようにやっていただろうと思うのである。

 文学仲間の弟に案内されて、出奔した仲間の出所地である瀞を見、ついでに、その「水の行」の男の父親の出所地である村をみたのだった。

 「水の行」とは、何かの新興宗教に入っていた女が、男と、男の母、弟、妹を巻き込み、食う物も食わず、水を飲み、穢れを追い出す、と体を竹ほうきやものさしでぶちあったという宗教にからんだ事件だった。妹が死んだ。

 その事件を知ったのはもう三年にもなるが、私は、事件の当事者である女と、男を知っていた。女も男も、私と同年であり、女とは中学の時に同じクラスにいたこともある。男は、文学仲間の家でよく会ったのだった。その新宮でおこった「水の行」は、さまざまな事を想起させる。言ってみれば、まちのどこを掘っても角のとれた丸い石しか出てこないという新宮でしか、起こらなかった出来事である。文学論風に言えば、性と宗教と暴力、それがことごとく包含されていると、思う。女とその男の一家が、何の宗教に入っていたのか知らないし、また理解できるのは、宗教の教義からはみだし、今ひとつの新たな土俗的な宗教の派生が、その夏の盛り、閉め切ったほの暗い家に裸で閉じ込もって穢れているその体をぶちあう儀式にあったのだということである。その「水の行」から私は、連合赤軍の粛清と、アメリカのシャロン・テート事件を連想した。それらにも興味はある。だが分からないところがある。しかし、この「水の行」は、わかった。新宮は水の上にある土地である。そこで水よりも濃く、重く、ぬくもりのある血を持った人間が、四方を、山と川と海に囲まれ、生活している。夜、寝静まったこの土地に、海鳴りがする。その鳴りつづける水、あふれる水の方にではなく、穢れは澱のように、草と木でつくった折りたたみできるような家の暗がりの中で、血のつまった体を持った人間の方に降りつもる。

 

 この「新宮」は、内面の優位性を象徴する国木田独歩の「武蔵野」、あるいはアイデンティティ探求の対象である太宰にとっての「津軽」のような場所ではない。新宮は中上の私小説と物語の入口である。新宮は中上の想像力の産物であると同時に、その想像力を刺激する。その過程で、中上が生まれ育ってきた戦後日本から近代日本、さらに被差別部落の起源への旅の「出発点」となる。

 想像力の根源に加えて、中上は、藤村と違い、学校ではなく、この新宮や熊野の「路地」を舞台にする。戦前の近代化が学校を通じて普及されたとすれば、戦後の物質主義はその外から押し寄せる。ジャック・ケルアックの『路上』を思い起こさせるこの「路地」から中上は藤村をこえていく。

 

 私は差異の産物だった。

 新宮の歴史を学び、門弟三千人の文豪佐藤春夫を産み出した新宮の文化史にとって人がそことの行き来を門で仕切り、松の内に町中に入りこんだ彼らを追いかけ廻したとオベらが語る路地から小説家が生まれるなどという事は青天のへきれきに値する事だった。だが私は当然のことだと思っている。路地が、新宮という土地が町として成立する為につくりだした幻想、鏡のようなものなら、それは、ヨーロッパの共同幻想が産みだしたアウシュヴィッツと同じでありラーゲリであり、病院であり、刑務所であるはずだった。

(中上健次『石橋』)

 

三 On the Border

 

 にいやんはしんだん。うっすらと青い記憶の酸が、ひかりをはぎとり、傷つけ、蒸発させてしまおうとする。

 世界は

 いつまでも

 ギリシャ悲劇を上演している

強姦者どもが生きつづけて、弱々しい悲鳴を海が執拗に叫びつづけていいものだろうか?

(中上健次『海へ』)

 

 中上健次の作品には先行する無数のテクストを見つけることができる。それらは私小説と物語同様の手法で巧みに処理されている。中上の作品は、一方では、自然主義文学、私小説、物語、民俗学、大江健三郎、内向の世代の作家、他方では、ギリシア悲劇やフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー、ウィリアム・フォークナー、ジョゼフ・コンラット、ジェームズ・ジョイス、ビート世代、ガブリエル・ガルシア・マルケス、朝鮮半島の文学などと関連している。そのため、非常に多様な方面から考察されている。中上は日本文学に限らず、さまざまな文学の枠組みを借りながら、それを自分の修辞法で描いている。

 中上は、オノレ・ド・バルザックの『人間喜劇』に始まる人物再出法もフォークナーを通じて習得している。文体は別にしても、この通り、中でも、フォークナーから決定的な影響を受けており、中上は、『根源的な場所─南部』において、そのフォークナーについて次のように書いている。

 

 フォークナーの小説は、それまでの近代化から取り残されて日の眼をみなかった南部を、一挙に、アメリカ全土の象徴にまで高めた、と言える。南部こそアメリカであり、現代である。フォークナーの小説を詠み、出所不明の男トマス・サトペンやジョー・クリスマスをみると、文学というもの、小説というものが、楽園から追放されて今を生きる人間の呻くような祈りにみえる。人間を根元から描くという実にまっとうな認識がある。

 文学に顕われたアメリカは、人間の壮大な実験所である。

 

 中上は新宮・熊野もまた、「ヨークナパテーファ郡」のように、「路地」として設定した「壮大な実験所」である。フォークナーの「南部」は南北戦争に敗れて、「北部」に支配され、貧困と差別にあえいでいる。フォークナーの文学は、合衆国の外で、ラテン・アメリカやインド、アフリカなどかつて西洋の植民地支配にあり、独立後も従属的な経済の地域に受容されている。中上の「路地」も、『奇蹟』において外部勢力の影響下で龍造が支配力を伸ばすように、そうした従属的地域である。

 中上は西洋の小説を参照しつつも、それとはまったく別の世界を描く。リービ英雄は、『アメリカ、日本文学、中上健次』において、中上の『千年の愉楽』が「アルカイック」であると同時に、「アジア的」な物語であって、「性格描写や語りの構造はフォークナーにせよ、マルケスにせよ、西洋のいかなる小説家の作品にも見つからない《の世界》である」と指摘した上で、「業とはつまり繰り返しだ」と主張している。「業」、すなわち「カルマ」はバラモン教に始まり、仏教にも影響を与えた概念であるが、東アジアに伝わった際、インドでは輪廻転生からの解脱という観点から来世に重点が置かれているのに対し、前世からの因果応報の点が強調される。業は債務として相続者を苦しめる。紀州サーガは「業の世界」の物語である。

 

 負い目の感情や個人的債務の感情は、すでにわれわれが察したように、その起源をば、およそ存在する限りの最古の最原始的な個人関係のうちに、すなわち売り手と買い手、債権者と債務者という関係のうちにもっている。この関係のうちではじめて個人が個人と相対し、ここではじめて個人が個人と比量しあった。この関係が多少なりとも認められないような程度の文明というものは、まだ発見されてはいない。値段をつける、価値を見積もる、等価物を考え出す、交換する―これら一連のことは、ある意味ではそれが思考そのものであるといってもよいほどにまで、人間の原初の思考を先占していた。…人間の特質は、価値を測る存在たることに、<もともと評価する動物>として価値を見積もり評定する存在たることにあったのだ。売買というものは、その心理的な付属物をもあわせて、いかなる社会的な組織形態や結合の始まりよりも一層に古いものである。というよりむしろ、交換・契約・負債・権利・義務・決済などの感情の芽生えは、まず個人権というもっとも初歩的な形態からして、やがてもっとも粗大で原始的な社会複合体(類似の社会複合体と比較してのこと)へと移行したのである。この移行には同時に、権力と権力を比較したり、権力で権力を推し量ったり、見積もったりする習慣の同じような推移がともなっていた。

 

 ともあれ、先史時代の尺度でもって測るならば、共同体とその成員との関係もまた、債権者と債務者というあの重大な根本関係を本質としている。人はみな一つの共同体の中で生活し、共同体の利便を享受している(おお、何という利便だろう! われわれは今日これを往々にして過小評価するが)。人は保護され、いたわられて、外部の人間すなわち<平和なき者>がさらされているある種の危害や敵意に心悩まされることもなしに、平和と信頼のうちに住んでいる。

 

共同体はその権力が強まるにつれて、個人の違犯をもはやそれほど重大視しなくなる。というのも、共同体はもはや個人を以前ほどには全体の存立にとって危険な反乱分子とみなさなくてもよくなるからである。…共同体の権力と自己意識が増大するに応じて、刑法もまたその厳しさを和らげる。共同体の権力が弱まり、その危機が深まるにつれて、刑法はまたもや厳酷な形式をとるようになる。債権者は、常に富裕になるにつれて寛仁となった。結局は、債権者がどれほど苦しむことなしに被害に堪えうるかということが、彼の富の尺度とさえなる。

(フリードリヒ・ニーチェ『道徳の系譜』)

 

 『岬』の段階では、家族関係はたんに複雑なだけだったが、『枯木灘』以降、主人公は、絶えず、本来自分とは無縁なはずの関係に自身を「業」として投影している。前者では関係は静的であり、後者では関係が「突発的」であると同時に動的である。「ふと、秋幸は思った。身震いした。秋幸は自分が十二歳の時、二十四で死んだ郁男にそっくりだと思った。郁男の代わりに秋幸は、秋幸を殺した。秀雄が十四年前の、秋幸だった」(『枯木灘』)。これは人物だけに止まらない。出来事も別の出来事に類似されて把握される。「イクオは音がギターからではなく自分の指から湧き出している気がする。甘やかで切ない音の一つ一つが、五体を流れるイクオの血の飛沫のような気がする。イクオはタイチではなく自分が高貴にして澱んだ若死にを宿命づけられた中本の本当の血だと思い、ギターを弾きながらいつ犯してしまったのかおぼろげな仏の罪を悔やみ涙を流す」(『奇蹟』)。

 

There is unrest in the Galactic

Senate. Several thousand solar

systems have declared their

intentions to leave the Republic.

This separatist movement,

under the leadership of the

mysterious Count Dooku, has

made it difficult for the limited

number of Jedi Knights to

maintain peace and order in the

galaxy.

Senator Amidala, the former

Queen of Naboo, is returning

to the Galactic Senate to vote

on the critical issue of creating

an ARMY OF THE REPUBLIC

to assist the overwhelmed

Jedi...

(George Lucas “Star Wars Episode II Attack Of The Clones”)

 

 リービ英雄の中上読解はテオドール・W・アドルノによるリヒャルト・ワーグナー論『ワーグナーのアクチュアリティ』(一九六三)を彷彿とさせる。

 アドルノは、『ワーグナーのアクチュアリティ』において、ワーグナーについて次のように解釈している。

 

 たしかに彼は、ポーズとしては、神話に加担しようとしております。その音楽も同様で、ワーグナーの音楽は事実そのセリフだけでなく全体として、神話に加担するポーズをあくまでも擁護しております。代表作でジークフリートという乱暴者を賛美しているのですから、ワーグナーは暴力の弁護人になってしまっているといわれてもしょうがありません。しかし暴力は彼の作品のなかで純粋なかたちをとり、いっさいのヴェールをぬぎ、神話に巻き込まれた恐ろしい相貌であらわになることによって、ワーグナー自身には神話化の傾向があるにもかかわらず、望もうと望むまいとにかかわらず、神話に対する告発がそこで行われているのです。

 

 アドルノは「そういうものなのだ、永遠にわたってそうあるべきなのだ、そこから抜け出ることはない、抜け出せないのだ」と語りかけるワーグナーを「反復の形而上学」と呼んだが、中上の場合、それは「業の形而上学」になるだろう。

 

 竹原秋幸、その名前が嫌だ。竹原フサ、その名が嫌だ。秋幸は背に広がった鳥肌と不快感が何故なのかわからないまま思った。浜村秋幸、その名も嫌だった。実父、浜村龍造はすぐそばにいた。そこで世間並みに、死んだ者の霊を海にむかって送っていた。

 路地では、いま「哀れなるかよ、きょうだい心中」と盆踊りの唄がひびいているはずだった。言ってみれば秋幸はその路地が孕み、路地が生んだ子供も同然のまま育った。秋幸に父親はなかった。秋幸はフサの私生児ではなく路地の私生児だった。私生児には父も母も、きょうだい一切はない、そう秋幸は思った。

(『枯木灘』)

 

 竹原は広島県にある「安芸の小京都」の地名でもある。竹原は古くから瀬戸内の交通の起点として発展し、室町時代より港町として知られ、江戸時代後期、製塩業で栄えている。竹原は塩を意味する。塩は、水と並んで、人間の生命維持に欠かすことができないため、世界中で、政治的・経済的に最も重要なものとして扱われている。それは米の比ではない。と同時に、灌漑農業を始めた文明都市は、しばしば、塩害によって滅亡し、現代のコンクリートの建築物も塩害で瓦解している。池田勇人は広島県浜名村出身であるが、現在、竹原市の一部である。

 中上はフェミニストからしばしば姓暴力のとり扱いの点で非難されている。けれども、中上が野蛮さに加担していると思われる場合でさえ、そこに倫理的機能が働いているため、それに対して距離をとっている。中上は性暴力を描き、それが「業」に根ざしていることを明らかにして、破産させる。中上の暴力は神話的な必然性からつねに裏切られている。「業の形而上学」が結果として招く破産により、暴力に抱く肯定的・否定的幻想いずれも無効にしてしまう。その暴力は正当化の根拠を自ら失い、すでに破産している。中上は暴力や男性中心主義の弁護人どころか、自己破産という形によって、暴力や男性中心主義を告発している。むしろ、読者がある特定の社会的・歴史的背景の下に生きている自己に対する理解の試金石でさえある。倫理的であると同時に歴史的な産物として読者自身と世界を受容する契機となる。

 『千年の愉楽』(一九八二)は「業の世界」の「出発点」、すなわちフォースが描かれている。「フォース(The Force)」は、『スター・ウォーズ』シリーズにおいて、未来を予知する力、他人の心を操る力、視覚に頼らずに周囲を感知する力、触れずに物を動かす力などを含んでいる。ジェダイの騎士はフォースを使って正義を行うが、それは「ライトサイド(The light side)」と呼ばれ、シスのダーク・ジェダイはフォースを悪に用いており、そのフォースも憎悪によって放出される「ダークサイド(The dark side」のフォースである。生の立場から一切を肯定するオリュウノオバと死の立場からすべてを否定する礼如が交差し、両者は同一の円環に閉じられている。この閉じられた円環から紀州サーガが生まれる。紀州サーガの登場人物はしばしば自分自身を誰かになぞらえるが、『千年の愉楽』はそれが路地の繰り返し、すなわち「業」から生じていることを顕在化する。フォースはこの「路地」そのものである。

 中上健次自身も、『妖霊星』において、そう感じていることを告げている。

 

 わが身が悲しくなったのは、私が「枯木灘」という私生児竹原秋幸と浜村龍造なる蝿の王の物語を書いてしまった身であるからだった。私はいま小説家とはあえて言うまい。私はさながら竹原秋幸がやってはいけない事をやってしまい侵犯してしまったように「枯木灘」を書いてしまった男であり、あえて脈絡をつけるなら、刑が決まるまで田辺の刑務所にいて刑がきまってから大阪の刑務所に服役して来た秋幸だった。

 というのも「枯木灘」の中で秋幸が半ば無意識のまま起こした対浜村龍造への侵犯行為、異母妹さと子との近親姦、秀雄の撲殺とは母系社会の中での母の領域への侵犯、遠近法の撹乱ともなるから、浜村龍造は無疵なままだった。しかし私は「枯木灘」で何事をかしでかしたように錯覚して「枯木灘」の後はソレに対して優しく、丁度、路地について考えつめる時期にも重なったので、「兄やんよ」と話しかけてくるソレにたとえ町中であろうと立ちどまり、頼まれ事をききもした。

 

 リービ英雄は、小学館版『昭和文学全集29』の解説において、紀州サーガの始点『千年の愉楽』を朝鮮半島の文化を踏まえて次のように述べている。

 

 中上健次の「アジア」は閉ざされたところに存在する。そして「路地」という小宇宙を閉ざした「仕切り」のむこうにあるものは「近代」という時間だけではなく、「中央」という空間でもある。中上氏の「アジア」を敢えて定義するとしたら、それは「東洋」に対しての「アジア」であり、「中央」に対しての「周辺」であり、「都」に対しての「鄙」であり、「中華」に対しての「西域」であり、「官」に対しての「民」であり、「漢」に対しての「和」である。(この「和」がただ「日本」という意味ではなく、むしろ「和歌」のようにnative、土俗的という意味をふくめている。古代朝鮮の「郷」に当たるカテゴリーで、たとえば「和歌」と同じ「郷歌」で、「和楽」と同じく「郷楽」のように、中国の周辺にある土俗文化の自覚の記号である。)

 

 「和」は「郷」以上に閉ざされている。中国が「大中華」であるなら、朝鮮は「小中華」である。海を挟んだ日本と違い、小中華には儒教原理主義的伝統がある。日本のことなど中華の人々は手本にしない。柳田や折口の民俗学が西洋の科学を日本の現状に適用させる過程で生まれたわけだが、近代以前においても、日本では大陸から伝来した学問はその原理性が弱められ、「和」と化している。大陸の使者は、来日する度に、日本人の儒教理解に軽蔑を示している。それは「周辺」であるがゆえに、許される規範性の脆弱さである。

 中上の小説は読み進んでいっても、同じようなことが繰り返し書かれているだけで、何か目新しいことを発見することが少ない。世界はどこまでも閉ざされている。「そしてそれは突発的に起こったのだった。誰も彼もそこにいた。誰もが見ていた。いや、薄闇に包まれ、その事を見たのは至近距離にいる当の二人だけだった」。これは、『枯木灘』の中で、秋幸が腹違いの弟秀雄を殺す場面であるけれども、『枯木灘』以降の長編作品において、すべての出来事は「突発的に起こった」ように見える。嫉妬が絡んだカインとアベルの関係とは違い、この殺人は父殺しの代補として行われているが、ナンセンスである。業の世界でありながらも、それが自己破産していると言えるだろう。

 秋幸は、『枯木灘』で、秀雄を殺した際、縊死した父違いの兄郁男も殺したと次のように感じている。

 

 郁男と秀雄を殺した。仕方がなかった。二人を殺さなければ秋幸が殺された。秋幸はそう思った。いや秋幸は、秀雄が、あの時、郁男に殺された秋幸自身であり、実際には首を吊って自死する郁男のような気がした。郁男が諫めるように死んだ十二歳の時から、秋幸は郁男を殺したと思ってきた。すでに人は殺していた。その時から秋幸は、声変りをし、陰毛が生え、夢精をし、日増しに成長する秋幸自身におびえた。骨格は、その男に似て太かった。自分の毛ずね、地下足袋をはく足、それらは獣のものであって到底人間のものとは思えなかった。

 

 その業の論理は「秋幸は秋幸を殺したのだ」に至る。秋幸の思考が論理的であるかどうかは別にして、秋幸の殺人は父殺しの不可能を表象している。近代に入り、神は死ぬ。神=父の死んだ時代以降、父を殺すことはできない。中上はまさにそれを顕在化させている。

 

 青年にとって、父とはなんであったか。通常は、彼に対する社会の規範を象徴すると考えられている。青年は社会に反抗する。それで、成人するためには、儀式的な父殺しがある。象徴のレベルで、父を殺すことによって、青年は成人してきた。こうして彼は、社会に加入する。

 しかし現在、父は社会規範を象徴したりはしない。そもそも、規範はすべて管理規則になってしまったではないか。社会規範が衰弱したからこそ、管理規則が必要になったのだ。

 

 父は自信を失った、という。当然のことだ。かつて自信といわれたものは、彼自身に発するものではなく、社会の持つ規範性に支えられていたのだ。管理機構に支えられて、人間はむしろ臆病になる。「自信」ありげにみえるのは、その臆病さの擬態だ。

 だから当節、自信を持った父の像は、むしろ滑稽である。規範を持たず屈折した人間の姿が、現代の父としてある。

 しかし、殺すべき父を持たない子供たちは、どうなるのか。象徴レベルで殺すべき父なしに、彼はどのように成人すればよいか。

 

 むしろ、父によってでなく、子によって、新しい社会規範が生じかけているのかもしれない。ぼくは、それがとてもいやなのだが。

 たとえば先日、ある中学校の教室へ行ったとき、今週の目標「掃除をさぼらない」とあって、掃除をさぼると他人の負担を増やし、他人の人権を侵害する、なんて解説がある。「労働のよろこび」どころの話じゃない。「人権の公平」の規範性が奇妙な段階にまで達してしまっている。

 だいたいは、学校がうまく動くためには、サボりの人間がいなくてはならない。自分もいつの日かサボリの役をになう可能性が、集団にユトリをもたらす。

 「公平」が父の規範であったことはないから、これはまた、別種の現象なのだろう。

 ともかく現在、管理はあっても規範はない。それゆえに、殺すに値する父はいない。

 

 父が対立であるとするなら、母は包容であったろう。しかし、包容されるということは、所有されるという意味を含んでいる。象徴レベルで、対立するものとしての、父の支配を倒すことはできる。しかし、原理的にいって、みずからを包みこむものとしての、母を殺すことはできない。包みこまれることによって、殺されるのは自分のほうである。

 これはいちおう、「母性愛」で飾られるが、そうした感情とは別の概念である。人間にとって、愛はしばしば憎をともなうので、わが子を憎むという所有の型だってありうる。白雪姫の原型では、「鏡よ、鏡よ」と問いかける例の魔女は、継母ではなくて実母なのである。

 象徴レベルで、対立するものとしての、父の支配を倒すことはできる。しかし、原理的にいって、自らを包みこむものとしての、母を殺すことはできない。包みこまれることによって、殺されるのは自分自身である。

 してみると、母に抱かれることについては、父殺しの場合と逆の意味が読みとれる。父との別れは子の自立だろうが、母との別れに、自立といった主体的な契機を読みとる必要はない。それはむしろ、母による所有から避難するための自衛である。

 そしてたしかに、家庭の肥大が、母からの離脱を困難にしている。現代の白雪姫たちは、母から贈られたリンゴにとりまかれている。彼女にとって必要なトリックスター、七人の小人たちは住み家を失った。

 

 結局は、子の領分ができる以外に、救いはないのではなかろうか。昔と違って、学校には子の領分をあまり期待しないほうがよい。よほど幸運な場合を除いては、子どもは学校に自分の領分を持たず、制度の管理に隷属させられているだけだ。

 子の領分とは、子ども部屋のような、母の作った巣を意味しない。それは、彼がいたずらな小人たちと会うことのできる場所のことだ。母に包まれることなく、自分ひとりの孤独を守れる場所のことだ。

 いったいに、子どもの成長にとって、孤独になれることは重要なはずだ。どこにも位置づけられない、なにものにも包みこまれない、自分ひとりになれることは、成長の過程になくてはなるまい。

 

 むしろ、「父のきびしさ」と「母のやさしさ」なんて、なんの根拠もあるまい。父なるものは不在であっても、自分の領分のなかでみずから成長することができればよいし、母なるものの幻想がおおっていようと、待避する領分がありさえあれば安全だ。

 それは、自分固有の領分で、自分に固有の小人たちと面会できる場所である。父にとって悪い子になることができ、母の世界からはみだすことのできる場所だ。これは、実在の世界である必要すらない。彼の心の中に、そうした世界があるだけでよい。

 さきの「公平」への価値意識の異常増大は、彼らが心の中に、自分の固有の領域を持たないことを証明している、とぼくは考えている。子どもに一番だいじなものは、自分の心の中の夢であって、そして、彼の夢に現れる小人は、彼だけにしか現れないものだ。夢は、つねに不公平なものだ。

 よく、「このごろの子どもは、自分のことしか考えない」と言われる。このことは、彼らが「自分のこと」をほんとうに考える機会を奪われている状況では、とても逆説的に聞こえる。いま、子どもたちが考えなければならないのは、「他人のこと」などでなく、なによりも「自分のこと」ではないのか。他人とくらべての「不公平」などより、自分で勝手な夢の世界を持つことではないのか。

(森毅『父と母と、そして子と』)

 

四 破産の力

 中上はフサを主人公にした『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』に相当する『鳳仙花』(一九八〇)を描いている。徳田秋声の『あらくれ』や『縮図』のパロディである以上に、この「母」の問題を直接的に扱っており、その観点からの考察が待たれている。母は依然として生きている。母を殺すことができない。『鳳仙花』はフサの一五歳から三四歳に亘る年代記が中心の物語であるが、発展的と言うよりも、エピソードが積み重ねられている。同時に、盧溝橋事件や空襲、終戦といった歴史的出来事がフサが伝聞推定してものとして語られている。

 

 昭和十二年、その日、盧溝橋事件が起こったと号外が配られた日だった。

 

 六月にはアメリカ軍が浜から上陸してくると噂が流れていたし、七月に入ると和歌山が空襲に遭って、駐屯していた部隊が全滅したと耳にした。

 

 八月十五日、終戦になったと耳にした。

 

 これはフサに特有の経験ではない。情報統制が布かれていた当時、日本各地で、情報の多くは口コミで伝わっている。空襲警報が鳴り響く毎日のせいで、大本営発表が建前だと人々は気づいている。もはやマスメディアは破産している。また、近代以前の日本の物語は「昔男ありけり」のように、語り手は伝聞推定で話される。それは近代社会な均質性と異なっている。

 この伝聞推定の語りは紀州サーガにはよく登場する。

 

 ユキは、その話をモン姐さんから聴いた。モン姐さんはそれを当の龍造の口から聴いた。

 その男は、夜になる度に、ケント紙に地図を描いた。有馬の地図も、この土地の地図も諳じていた。最初の一枚にはこの土地と有馬の地と、浜村孫一ゆかりの地全部を含む紀伊半島の俯瞰図を描き、山と川と海を丁寧に描き入れた。(略)

 男はしばらくは紙に何も書かなかった。その土地は、さら地のまま、男が何ひとつ跡を残さず何ひとつ指示も出さずにそのままで、子供らに残そうと思っていた。(略)秋幸は殺すのなら、秀雄ではなく、友一を殺すべきだった。優柔不断の友一ならさして惜しくはない。友一のような者は材木屋の二代目、三代目にけっこういた。秀雄は違った。秀雄は間の抜けたところと、かんしゃくが同居し、秋幸よりも男に似ていた。ただ秋幸は秀雄より苦労していた。秋幸は秀雄を殺し、長くて十年、いや秀雄が石を持って背後から殴りかかった事を考えて六年、短くて三年、刑務所暮らしをするはずだった。人殺しとして、六年の刑を受け、三十二になった秋幸は買いだ、と男は思った。

(『枯木灘』)

 

 これは路地が伝聞推定、すなわち噂によって構成された世界ということを示している。永田町・霞ヶ関同様、真実と虚偽が入り混じり、悪意やねたみ、猜疑が渦巻いている。中上の小説は口承の文化、すなわち口コミであり、マスコミの原理に基づいていない。「小説の敵はマス・コミである。小説が貧血から抜け出るのは、ニュース・マス・コミを犯すことしかない、とこの頃思っているが、さてその犯す方法である。『冷血』のようなニュージャーナリズムの方法ではなく、やはり小説家の武器は、飢えた心と、想像力である、と思う」(中上健次『小説の敵』)。

 『枯木灘』などで「対立」の原理の不可能性を深く認識した中上は、『鳳仙花』は「包容」の原理としての「母」を極めて明確に描いている。

 

 紀州の海はきまって三月に入るときらきらと輝き、それが一面に雪をふりまいたように見えた。フサはその三月の海をどの季節の海よりも好きだった。三月は特別な月だった。

 

 フサ古座川河口の西向で、木馬引きの信吉に先立たれたトミト製材所の妊婦頭の妻子持ちの男の間に生まれ、異父兄弟の幸一郎や吉広に可愛がられて育っている。満州事変の年、一五歳で新宮の桜佐倉へ奉公に行き、山仕事をしていた西村勝一郎を知り、結婚する。勝一郎が病で亡くなるまでの一〇年間に郁男、芳子、美恵、君子、泰造を産み、夫の死後、行商をして生計を立てていたものの、昭和一九年、泰造を病で亡くす。イバラの龍()と出会い、妊娠するが、キノエとヨシエにも同様のことをしていたと知り、博打が原因の喧嘩で龍造が逮捕されたのをきっかけに、龍造と別れ、二一年、秋幸を出産する。さと子を産んだキノエは行方をくらまし、龍造はとみ子を出産したヨシエと所帯を持ち、その後、友一と秀雄を儲ける。フサは闇市で竹原繁蔵と知り合い、秋幸以外の四人の子供を残して、文昭を連れた繁蔵と再婚する。

 

 一瞬、フサは、十五のフサが汽車の走る方向とは逆に、古座から新宮にむかって走る船の中にいて、今、フサが陸の上から見る海岸を海から見ているかもしれないと思って、そんなことがあり得るはずがないと分かっているのに眼を凝らした。

 なにもかも幻のように思え、フサは、兄、とつぶやいた。髪に挿したあせた目立たない色の和櫛が、髪に触れる吉広の手のような気がして、フサは胸の中で、母さん死んでしもたよ、と言った。海はまばらに立ち並んだ家の間からのぞけ、たとえ、船から兄が見ても、汽車の中のフサを見つけてくれるかどうか分からない。

 

 フサは母トミの四九日の法要後、「母の不倫の子として生まれたフサに、母以外に自分を見てくれる者がいるはずがない」し、「秋幸と二人、死んでしまえば何もかも解決した」と思い秋幸を連れて無理心中するために、入水するものの、われにかえり、秋幸もフサの腕を振り払い、陸に駆け戻る。

 こうした現代における原理の顛末を扱う紀州サーガの真の主人公は「路地」である。路地は「子の領分」に属している。中上は、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メバス』である『千年の愉楽』において、重要な語り部のオリュウノオバが路地と同一化していると次のように記している。

 

 オリュウノオバは自分が路地そのものであり、自分がどんなに老ボケしても息がある限り、親よりも早く抱き取って産湯をつかわせた生まれてきた子らの場所は、女の子宮のようにとくとくと脈打ちつづけるし、自分が冷たくなって動かず物を思い出す事もなく考える事もなくなれば子らの場所は消え、生まれて来る者らは永久に場所を持たない流れ者になるのだと思い、オリュウノオバは自分の生命が消える日を考えて火に手をかざしながら涙を流した。

 

 『スター・ウォーズ エピソード5/ジェダイの帰還』に当たる『地上の果て 至上の時』(一九八三)は『枯木灘』から三年後の物語であるが、その間に、「路地」は消えている。それは「子の領分」が亡くなった現代社会の寓話でもある。刑務所の秋幸は面会者を通じて生まれ育った土地が大きく変わってしまったことを伝えられている。モン姐さんは地図と写真を持ってきて、原子力発電所や高速道路の建設が始まり、列島改造に沸く土地ブームが起き、おこぼれに預って暮していた連中までキャでラックを乗り回し、札片切って豪勢な生活をしていると秋幸に教えている。「路地」も、そんなご時世、「消しゴムで消されように」抹消されている。出所した秋幸は建設業に戻らず、浜村龍造の経営する材木屋にかかわる。路地がなければ、土にかかわる仕事につく意義はない。

 『地上の果て 至上の時』は「路地」の消失から始まる。それは、この作品を通じて、サーガ全体の完全なる破産の予兆である。その破産は、唐突に、訪れる。「朋輩」のヨシ兄が息子の鉄男に射殺された直後、秋幸が見ている前で、浜村龍造は書斎で首を吊ってしまう。

 

 秋幸はそう思い混乱した。声を掛けたくないし、声を掛けてはならない。いや、止めさせなくてはならない、自分がいるここに引きとどめなければならない、と錯綜し、自分は一体、その影の何なのか、その影は自分の何なのか? と思った。一瞬、声が出た。秋幸は叫んだ。その声が出たのと、影がのびあがり宙に浮いたように激しく揺れ、椅子が音を立てて倒れたのが同時だった。「違う」秋幸は一つの言葉しか知らないように叫んだ。

 

 『ジェダイの帰還』でも、ヨーダからレイアガ自分と双子であることが明かされたルークは父ダース・ベイダーを殺せず、ダース・ベイダーが皇帝を殺害する。アナキン・スカイウォーカーの母ジミ・スカイウォーカーであるが、フォースによって生み出されたため、父は存在しない。アナキンはフォースの「私生児」であり、殺すべき父を持たない。女性が人間以外のものと英雄を生み出すというエピソードはメソポタミアの神話によく見られる特徴であり、ユダヤ神話はそれを転倒している。『帝国の逆襲』のクライマックスにおいて、ダース・ベイダーはルークに「私はおまえの父だ(I am your father)」と告げ、『スター・ウォーズ』シリーズが父殺しの物語であることが明らかにされたものの、結局、それは『ジェダイの帰還』では叶わない。父殺しはもはや不可能であることが提示される。ジョージ・ルーカスは、この六部作を父なき子アナキン・スカイウォーカーの「贖罪の物語」と呼んでいるが、むしろ、フォースの破産の物語にほかならない。

 

Turmoil has engulfed the

Galactic Republic. The taxation

of trade routes to outlying star

systems is in dispute.

Hoping to resolve the matter

with a blockade of deadly

battleships, the greedy Trade

Federation has stopped all

shipping to the small planet

of Naboo.

While the Congress of the

Republic endlessly debates

this alarming chain of events,

the Supreme Chancellor has

secretly dispatched two Jedi

Knights, the guardians of

peace and justice in the

galaxy, to settle the conflict....

(George Lucas “Star Wars Episode I The Phantom Menace”)

 

 秋幸は父殺しの物語が破産していることを『枯木灘』の時点で承知している。秋幸の秀雄殺しは自己破産でしかない。龍造の縊死は龍造の自己破産である。「私生児」の浜村龍造も殺すべき父を持たない。龍造を龍造たらしめたのは占領下の混乱であり、その意味で、龍造は闇市の「私生児」である。『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』に対応する『奇蹟』(一九八九)で若き龍造が描かれている。『シスの復讐』には、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーへと変容していく過程やダーク・シディアスの力を借りたアナキンによるジェダイの虐殺、ルークとレイアが別々の親元で育てられる理由が描かれている。『奇蹟』は『岬』以前の時代を舞台にしているけれども、『地上の果て 至上の時』の後の原理が提示される。親子という世代対立ではなく、「朋輩」という均衡が原理として世界の中で機能している。

 

 トモノオジとイバラの留とオオワシのヒデ、三つの魂が一体なのか、一つの魂が三体になったのか、ひ若い頃から今まで互いが敵娼とした女にまでちりちりと焦れ立ち、遊郭に登って一人がいつまでも出て来ないとなると朋輩に怒るより女郎に必要以上に男をもてあそぶなと釘を刺した事もあった。それぞれ三人、何一つ欠ける事なく、どんな時でも女はついて廻ったが、路地の三朋輩として復員後のし上がり、三人が三人共腕ずくで荒くれを抑えつけていく度に、嬶捨てても朋輩捨てるな、と昔から路地に伝わる言葉どおり、朋輩の良さを分かり、朋輩の為なら生命さえ捨てると肝に銘じ続けたのだった。

 

 『スター・ウォーズ』シリーズにおいても、ルーク三部作は世代間抗争が中心的に扱われている。一方、アナキン三部作では、それが後退し、ジェダイ間のアナキンの孤立が描かれている。

 復員してきた隼のヒデとトモノオジ、イバラの留は、路地で、「嬶捨てても朋輩捨てるな」という路地に伝わる理念に基づき、三すくみの状況をつくり出すが、隼のヒデが殺されると、イバラの留が外部勢力と手を結んで支配を確立していく反面、トモノオジはアルコール依存症に陥り、精神病院へ入院する。この三すくみは死=生=狂気に相当する。

 

 そもそも路地の高貴にして澱んだ中本の血のタイチをトモノオジが思い浮かべ、あの時はああであった、この時はかくかくしかじかだったと神仏の由緒をなぞるように三輪崎の精神病院で、幻覚とも現実ともつかぬ相貌のオリュウノオバ相手に日がな一日来る日も来る日も語るのは、アル中のトモノオジの深い嘆き意外のなにものでもなかった。

 

 イバラの留は後に浜村龍造を名乗る人物である。この三勢力の均衡は「戦後の混沌」が可能にしたのであり、それが収束して秩序が形成されるに連れ、崩れていく。『地上の果て 至上の時』で、龍造は、殺すべき父を求めて、織田信長と戦って敗れた浜村孫一の子孫だと言い始め、路地の人たちから「物笑いの種」になっている。自らを雑賀衆のリーダーだった雑賀孫市あるいは鈴木孫一になぞらえているわけだが、龍造は、むしろ、弾左衛門だろう。江戸期に、被差別部落民を実効的に管理・統括した弾左衛門は強大な権力を握っている。一八〇〇年(寛政一二年)の記録によると、八〇〇〇軒近くを配下に置き、三〇〇〇石の旗本に匹敵する経済力を持っている。龍造は土地を手に入れるためには手段を選ばず、広大な土地を所有して浜村木材の社長となると同時に、町の名士の地位も築いていく。息子の秀雄を殺されてからというもの、書斎に閉じこもり、友一に材木店を任せ、土地の再編を計画し、出所した秋幸と時間をすごすことが多くなる。そのことで、フサは龍造に秋幸を返せと要求している。龍造の人生は東京オリンピックまでの日本の経過と重なる。

 鉄男のエピソードは、そうした世界において、いささか異質である。秋幸は父殺しをできずに終わるが、鉄男はヨシ兄を射殺する。鉄男の父殺しに銃を使うというのは意味深である。武士は刀によって象徴されるが、雑賀党鈴木氏はいち早く鉄砲隊を組織している。日本を刀としてシンボル化するのは江戸幕府の政策の結果であり、それ以前の日本は、むしろ、鉄砲の地域である。ただ、世界的に、銃の優位は、一九世紀に入って、安定性の高い連射の技術が考案されてから、確定している。それ以前の銃は、連発ができなかったり、次の照準があわせにくかったりして、弓のほうが実践向きでさえある。事実、ネイティヴ・アメリカンの驚異的な弓の連射に、初期の騎兵隊の銃は歯が立たない。当時の日本でも、人海戦術と心理的威嚇によって、鉄砲が有効だったのであり、銃の持つ人員の劣勢を覆す後の特性はまだ生まれていない。そうは言っても、戦国時代は鉄砲の時代であって、それは下克上を表象する。同時に、この時期、日本から積極的に海外に人々が渡った開かれた時代である。朱印船貿易や倭寇が伝えている通り、室町から江戸初期までの歴史には、日本だけでなく、大陸や台湾、東南アジア、琉球の間に成立した交易ルートが欠かせない。琉球には、古代インド同様、古文書や日記などの記録がないため、史料に直接あたってその歴史を解明することはできない。「おもろ」と呼ばれる口承や大陸の史料、江戸期に編纂された日本の文献を照らし合わせ、歴史を検証しなければならない。山田長政はタイの日本人町の頭領となり、伊達政宗の命で、支倉常長はメキシコ経由でヨーロッパを訪れている。江戸初期には、世界的に見て、最も鉄砲が普及していたけれども、幕府は鉄砲製造を極めて厳しく制限し、銃の進歩は停滞する。銃はあくまでこの小説に被差別部落の問題が秘められていることを告げているだけでなく、『大洪水』で描かれる鉄男の後の行動を暗示している。

 

 「……おまえが秀雄を殺したんじゃが、わしはフサが俺の子を殺したんじゃとも思とる。本当は秋幸が殺すんじゃったらこの俺じゃ」浜村龍造は昔の癖を思い出してたようにちっと音をさせて唾を吐いた。

 「浜村孫一が浜村龍造をか?」秋幸が言うと浜村龍造は声を出してわらった。

 

 秋幸は自らを孫一に譬えている。父殺しが子殺しに反転している。これは、秋幸に父を殺す意味や衝動が失われ、もはや惰性でしかないと感じている証である。秋幸と龍造の対立は「路地」をめぐって生じている。龍造には利権の対象でしかなくとも、秋幸にとって、路地はすべてである。龍造は路地に選ばれたものであり、秋幸はその子である。である。路地が消えた後では、対立の根拠が失われてしまう。「浜村龍造は意味があってそうしたのではない。蟻が巣を作るようにただそうしたかったのだ。意味はむしろ秋幸だった。意味の亡霊のように秋幸は路地跡を誰の所有でもなくして、そこに小屋を作って住む者らの共有にしようと思っている」。

 けれども、路地を利権と見たのは浜村龍造だけでない。義父の竹原繁蔵ら土建業も潤っている。秋幸だけが路地の消失に異議を唱える。

 

 路地は若い浜村龍造には、道徳のない、嘘や猜疑やねたみの渦巻くところだったし、人間が衝動だけで姦し、親のない子がまた親のない子をつくる繰り返しを平然とやってのける、平べったいただ地面にへばりついた人間をひりだすようなところだった。

 

 路地の消滅は、身分制の解体がそうであったように、差別の根絶を意味しない。「路地は秋幸だった。秋幸の過去のすべてだった」のに対し、龍造にとって、「路地」は利権でしかない。秋幸は路地跡に入会地を計画する。龍造は戦後のある典型的な男の人生を具象化している。闇屋上がりの荒くれ者が日本列島改造計画の頃には町の名士になったというケースは日本各地に見られる。龍造が象徴するのは欲望である。欲望は資本主義社会において正当化される。しかし、人々の多くは経済的繁栄の恩恵を受け、中流意識を感じ、もはや欲望の時代ではない。欲望は破産させなければならない。

 近代は殺すべき父のいない時代、すなわち自立の時代であり、父殺しの物語の不可能性が近代小説である。丑松はとって、破戒は父殺しと言うよりも、父の世代との断絶を意味する。一方、現代小説は父の死が決定不能になった時代の文学である。父は死んでいるとも死んでいないとも言えない。続きマンガの切抜きを入れたローマ法王宛の遺書を残して、首を吊ってしまう龍造はまさにそういう存在である。キリスト教世界において、開拓時代のアメリカ西部で牛泥棒がそうされたように、強欲に対する刑罰は縛り首である。欲望の化身龍造は自殺であったとしても、縛り首によって死んでいく。

 龍造の死後、秋幸は燃え上がる路地を後にいずこへともなく姿を消している。それは、ある種の父殺しの決定不能性を描いた『地獄の黙示録』のエンディングを思い起こさせる。アメリカ軍の爆撃によって、燃え盛るマーロン・ブランド扮するウォルター・E・カーツ大佐の王国のシーンで終わる。その炎の中、もはやその意義さえ怪しいカーツの暗殺を終えたマーティン・シーン演ずるベンジャミン・L・ウィラード大尉は哨戒艇でいずことなく去っていく『地獄の黙示録』では、名前はある意味を表象している。ウォルター(Walter)は「軍隊の支配」を指し、カーツ(Kurtz)はコンラッド(Conrad)と同じ語源があり、「果敢」あるいは「大胆」と「忠告」または「相談」の意味を併せ持つゲルマン的な名前である。同時に、この映画のモチーフである『闇の奥』の原作者ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)が自身の名前を踏まえている。ウィラード(Willard)は、ゲルマン的な響きがあり、「意志」ないし「欲望」と「勇敢」や「苦難に耐えうる」、ベンジャミン(Benjamin)は古代ヘブライ語に由来し、「右」もしくは「南」の「息子」を意味する。大胆な忠告者による軍隊の支配を苦難に耐える意志を持った南の息子が殺す物語というわけだ。"I was going to the worst place in the world, and I didn't even know it yet. Weeks away and hundreds of miles up a river that snaked through the war like a main circuit cable and plugged straight into Kurtz. It was no accident that I got to be the caretaker of Colonel Walter E. Kurtz's memory, any more than being back in Saigon was an accident. There is no way to tell his story without telling my own. And if his story is really a confession, then so is mine"(Benjamin L. Willard “Apocalypse Now”).

 

This is the end, Beautiful friend

This is the end, My only friend, the end

Of our elaborate plans, the end

Of everything that stands, the end

No safety or surprise, the end

I'll never look into your eyes...again

Can you picture what will be, So limitless and free

Desperately in need...of some...stranger's hand

In a...desperate land

Lost in a Roman...wilderness of pain

And all the children are insane, All the children are insane

Waiting for the summer rain, yeah

There's danger on the edge of town

Ride the King's highway, baby

Weird scenes inside the gold mine

Ride the highway west, baby

Ride the snake, ride the snake

To the lake, the ancient lake, baby

The snake is long, seven miles

Ride the snake...he's old, and his skin is cold

The west is the best, The west is the best

Get here, and we'll do the rest

The blue bus is callin' us, The blue bus is callin' us

Driver, where you taken' us

 

The killer awoke before dawn, he put his boots on

He took a face from the ancient gallery

And he walked on down the hall

He went into the room where his sister lived, and...then he

Paid a visit to his brother, and then he

He walked on down the hall, and

And he came to a door...and he looked inside

“Father”, “Yes son”, “I want to kill you”.

“Mother...I want to...fuck you”

C'mon baby, take a chance with us

And meet me at the back of the blue bus

Doin' a blue rock, On a blue bus

Doin' a blue rock, C'mon, yeah

Kill, kill, kill, kill, kill, kill

 

This is the end, Beautiful friend

This is the end, My only friend, the end

It hurts to set you free

But you'll never follow me

The end of laughter and soft lies

The end of nights we tried to die

This is the end

(The Doors “The End”)

 

 ウィラードと違い、秋幸は父殺しをできない。父は相続すべき財産などなく、借金しか持っていないからだ。結局、相続放棄するほかない。紀州サーガはこうして幕を閉じる。

 このサーガに限らない。中上の登場人物たちは、最後には、自己破産に至る。「天国はあるかもしれないが、地獄があるのは確実だ」(ロバート・ブラウニング『時の復讐』)。息苦しいまでの悪夢、束縛の世界が展開される。差別や暴力、狂気といった悲惨さが舞台背景を効果的に演出する。濃すぎる血縁・地縁から生じる業に苦しめられる中上の登場人物はよく泣く。

 

 女が、蛇の化身だというのは、蛇性の婬、の話であるが、なにやらあの話は、田辺の人、熊楠がいうように、遠くインドに出典を持ち、法華験記等説話にある道成寺伝説に似ていて、浮島の伝説とは、根元で違う。(略)つまり法華験記などをみていると、道成寺伝説は沼の神、池の神たる蛇の土着信仰が、体系化された外来主の仏教に終われ、訓順される過程にもみえるのである。では、男は、尊い仏の加護にあずかった汚れを知らない聖が、いや、善か? そんな馬鹿なことはない。(略)だから彼には、女が蛇であるなどとは、到底思い難い。蛇性の婬は、むしろ彼だった。女をみつめながら、彼は、声をあげて泣いた。(略)おれを救けてくれ。

(『浮島』)

 

 業の形而上学に縛られた中上の作品からは「おれを救けてくれ」という願いが伝わってくる。中上の小説の主人公たちはいつもどこかで「死にたい」と「救けてくれ」と同時に泣き叫んでいる。破産者であり、治禁者である。破産は本来債務を完済できなくなった債務者の財産の減少を防ぎ、債権者に公平な満足を与えることを目的とする手続きだが、同時に、債務者を救済するという側面もあり、自己破産は特に後者の面が強い。

 

 確かに病気だと思った。体が普通以上に健康であることは、病気といっしょだ。なにかをしでかしたくてしょうがなくなる。おさまりがつかなくなる。

(『浄徳寺ツアー』)

 

 中上の主人公はしばしば衝動的に行動する。主人公は過剰な「健康」をもてあまし、世界にそれを付与する。この行為は業によってもたらされた借金の返済である。けれども、主人公は膨大な借金を抱えている。元金だけでなく、利子によって、ときと共に、借金は膨らんでいく。結局、主人公は破産せざるを得ない。神話や物語は贈与を体現する。その主人公がいかに正統性を持っているかを訴える。他方、中上の小説は破産を提示する。主人公は破産者であり、作品世界はそのため自己破産に追いこまれる。中上は、小説を通じて、こうした破産の力を見せつける。

 

Play I some music: (dis a) reggae music!

Play I some music: (dis a) reggae music!

Roots, rock, reggae: dis a reggae music!

Roots, rock, reggae: dis a reggae music!

 

Hey, Mister Music, sure sounds good to me!

I can't refuse it: what to be got to be.

Feel like dancing, dance 'cause we are free;

Feel like dancing, come dance with me!

 

Roots, rock, reggae: dis a reggae music!

Roots, rock, reggae, yeah! Dis a reggae music!

Play I some music: dis a reggae music!

Play I some music: dis a reggae music!

 

Play I on the R&B - wo-oh! Want all my people to see:

We're bubblin' on the Top 100, just like a mighty dread!

Play I on the R&B; want all my people to see:

We bubblin' on the Top 100, just like a mighty dread!

 

Roots, rock, reggae: dis a reggae music! Uh-uh!

Roots, rock, reggae, ee-mi duba! Dis a reggae music!

Play I some music: (dis a reggae music!)

Play I some music: (dis a reggae music!)

 

(Dis a reggae music! Dis a reggae music!)

 

Play I on the R&B; I want all my people to see: (doo-doo-doo-doo!)

We bubblin' on the Top 100, just like a mighty dread!

(doo-doo-doo-doo!)

Play I some music: (dis a) reggae music!

Play I some music: (dis a) reggae music!

(Dis a reggae music!)

(Dis a reggae music!)

(Bob Marley “Roots, Rock, Reggae”)

 

五 路地の向こうへ

 「路地」の消失はディアスポラスをもたらし、中上はその外の世界に「路地」を探求していく。『日輪の翼』(一九八四)で、「路地」を日本各地に探し求める旅を描いている。それはファーザー号(The Furthur)の旅を思い起こさせる。ケン・キージー(Ken Kesey)は、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの暗殺のショックを受け、仲間たちと、『カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)』に登場するメリー・パンクスターズ(The Merry Pranksters)を結成し、一九六三年七月、サイケデリックなペイントのスクール・バス「ファーザー号(The Furthur)」に乗って、アメリカ発見の旅に出る。ファーザーは「さらに遠く(Further)」と「未来(Future)」をかけており、運転手はジャック・ケルアックの『路上(On the Road)』の主人公ディーン・モリアティのモデルとされるニール・キャサディ(Neal Cassady) である。

 

"Let us be lovers, we'll marry our fortunes together

I've got some real estate here in my bag"

So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies

And walked off to look for America

 

"Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh

"Michigan seems like a dream to me now"

It took me four days to hitchhike from Saginaw

I've come to look for America

 

Laughing on the bus

Playing games with the faces

She said the man in the gabardine suit was a spy

I said "Be careful, his bowtie is really a camera"

 

"Toss me a cigarette, I think there's one in my raincoat"

"We smoked the last one an hour ago"

So I looked at the scenery, she read her magazine

And the moon rose over an open field

 

"Kathy, I'm lost," I said, though I knew she was sleeping

"I'm empty and aching and I don't know why"

Counting the cars on the New Jersey Turnpike

They've all come to look for America

All come to look for America

All come to look for America

 (Simon & GarfunkelAmerica” )

 

 『日輪の翼』の続編である『讃歌』(一九九〇)では、そのメンバーで「路地」に帰還しようとするものの、それは果たされない。また、『野性の火炎樹』(一九八五)や未完の『軽蔑』(一九九一)において、都市に新たな「路地」を見出そうとしたりしている。しかし、別の路地では紀州の路地の住人は余所者にすぎず、都市は開かれていて、内部と外部が曖昧である。四方田犬彦は、『貴種と転生・中上健次』において、「人が『幻想小説』の今日的流行を口にするとき、そこで問題となっているのは、超自然界を現実界の投影として表象するか、安全地帯に身を置きながら、往古の侵犯の物語を新しい意匠のもとに変奏することでしかない。いずれの場合にも、物語の背後にある力は不問に付され、同一物の回復と反復が楽天的に行われることになる」と言っている。中上作品では、路地という入会地的な土地こそフォースである。中上は閉ざされた空間を舞台にするとき、その多様性を顕在化させる。開かれると、逆に、それは多様性を失う。中上は、国内に路地がないと悟ると、『異族』(一九九一)で、アジアを舞台にサバルタンの連帯を目指している。これは頭山満ならびに竹中労の理論に基づき、『南総里見八犬伝』、さらにはその原型である『水滸伝』や『西遊記』などの中国の民衆文学である演義の系譜上にある。なるほど、織田信長に敗れた紀州の雑賀衆の一人と推測される「サイカ」が朝鮮半島に渡り、鉄砲部隊を率いて、秀吉軍を撃退している。また、第二次世界大戦でも、ルイ・ド・ベルニエールが『コレリ大尉のマンドリン』で描いたように、降伏したイタリア軍がギリシアのパルチザンと共闘して、ドイツ軍と戦っているし、現地にとどまった日本兵が東南アジアの独立闘争に参加している。さらに、アフガニスタンに侵攻したソ連軍に対し、世界各地から集まったムジャヒディンが、アメリカによる援助を受けつつ、共同で戦闘を挑んでいる。しかし、それらは、元ムジャヒディンが今や戦友の合衆国にテロを仕掛けている通り、敵に対する怨念や住民への共感に基づいているのであり、「路地」の共闘ではない。第一、一九八五年以降の中上の小説の登場人物は石ノ森章太郎の『サイボーグ009』やアメリカン・コミックの『X-MEN』など一九六〇年代後半から七〇年代にかけて人気を博したマンガで描かれた設定・構図を超えるものではない。天真爛漫な五〇年代が終わり、泥沼化するベトナム戦争と公民権運動の盛り上がりの中、人に明かせない秘密、すなわち闇を持ったヒーローが読者から歓迎される。しかも、中上作品と違い、差別されているという事実ではなく、その理由の同一性──『サイボーグ009』であればサイボーグ、『X-MEN』においてはミュータント──で主人公たち連帯している。こうした試行錯誤を考慮するならば、路地の不在をいかに小説化していくかが中上の紀州サーガ以降のテーマになっている。

 ミシェル・セールは、『ヘルメスT』「コミュニケーションの網の目─ペネロペ」において、開かれた系について次のように提示している。

 

 線形性から「図表性」へ向かうと、あり得る媒介の数は豊かになり、それらの媒介はしなやかなものになる。もはやひとつの道、ただひとつの道などはなく、一定の数の道や、確率的な分布があるのだ。しかし一方、提出されたモデルは、二つないし幾つかの命題(または現実的状況の諸要素)の結合に与えられた精巧な分化を提示するほかに、もはやそうした結合の数ではなく、結合の性質と力とを分化させる可能性を提示する。弁証法的論法は、その線形性に沿って、たとえば決定の一義的なタイプ、すなわち否定や対立や止揚しか運んでいかない。こうした決定の力は確かに存在するが、測定されていない。そんなわけで、一般には、多様な弁証法的シークエンスを複雑に織り上げたものにわれわれのモデルを単純化することは全く不可能である。そういう織物はわれわれのモデルの特殊な一例でしかないのだ。

 

 この「図表性」は非線形のことである。非線形現象は線形の手法で一般解を求めることが困難であり、「図表」、すなわちコンピューター・シミュレーションとして描くのが最善である。「コミュニケーションを行うことは、旅をし、翻訳を行い、交換を行うことである。つまり、〈他者〉の場所へ移行することであり、秩序破壊的というより横断的である異説(異本)として〈他者〉の言葉を引受けることであり、担保によって保証された品物をお互いに取引きをすることである。ここにはヘルメス、すなわち道路と四つ辻の神、メッセージと商人の神がいる」(『ヘルメスT』「序文」)。中上は、路地から離れ、開かれた系に直面したとき、「旅をし、翻訳を行い、交換を行う」人々を書き始める。

 路地の解体後の中上の小説はB級のパルプ・フィクション化している。これは、むしろ、中上の先見性である。父殺しの物語が決定不能に陥り、現代の文学はメロドラマと化している。オルタナティブを志向する中上はそれをB給文化に見出す。その姿勢は満足いく作品として出来上がっているかどうかは別にして、決して間違いではない。

 森毅は、『B級文化のすすめ』において、「ホンモノというのは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生みだすのは、A級よりもかえってB級のような気がするのだ」として、次のように述べている。

 

 考えてみれば、ぼくが子供のころに育った、戦前の宝塚文化なんてのは、レビューやショーは、フランスやアメリカのマガイモノだった。エノケンがジャズを歌った、戦前の浅草文科だってマガイモノだった。

 むしろ、マガイモノであるからこそ、そこに一つの世界を作って、文化となりえたのだろう。それが、カーネギー・ホールまで行ってしまったら、ホンモノ志向がすぎる。

 

 ぼくの好みをさしひいて、なるべく文化論的に見たいのだが、ホンモノというものは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生み出すのは、A級よりもかえってB級文化のような気がするのだ。

 

 形をA級にしたところで、せいぜいが既成のA級に伍してとの自己満足程度で、そのA級文化だって最初はB級文化だったのだ。映画の『アマデウス』のおもしろいところは、モーツァルトのオペラをB級文化風にとらえていることだった。

 むしろ、B級文化の渦のなかから出てくるものが、時代を変える。帝劇よりも浅草オペラ、名のだ。

 光るものは、B級のなかでも光る。A級にまじったところで、光らないものは光らない。B級文化が繁栄している時代というのは、文化的に成熟した時代だ。ぼくの好みはB級でぼくの時代がやって来た。

 

 吉本隆明は、四方田犬彦との対談『比類ない物語の力』において、「路地」の消失に対する中上の姿勢を次のように苛立っている。

 

 『地の果て 至上の時』を書いたときにはすでに路地というものの、舞台としての装置はみな、社会的にはすっ飛んじゃっているんだけれども、そのすっ飛んじゃっているというところをあの人は肯定できないでしがみついているから、こういう繰り返しのような作品になっちゃうんじゃないかと僕は思って、悪口をいったんですね。

 

 吉本は閉じられた路地が外の社会的・時代的変化によって解体されたことを中上が認められないと非難する。中上は、鯡の大群はもうこないのだといくら周囲から言われても、ボロボロの鯡網を捨てられずにいる北海道の年配の漁師のようだというわけだ。

 しかし、中上は路地の喪失に諦めがつかなかったわけではない。中上は。その後のB級文化の重要性が見えている。中上ほど戦後の日本の姿とその破産を描いた作家はいない。内なる帝国主義が臨界状態に達すると、経済力を背景に海外に経済的帝国主義を展開する。『異族』は大東亜共栄圏のパロディが描かれている。近代日本において最大のイデオロギーは天皇制ではない。それは二の次でしかない。天皇制を中心に近代日本を考察する試みは焦点がずれている。中上は天皇制に言及しても、日本語が担わされた大東亜共栄圏の根拠を捉えていない。フランスやトルコなどでは、国民国家が国家語をつくったが、近代日本において国歌語は植民地支配から生まれている。自然主義文学の文学的ヘゲモニーの獲得は日本の帝国主義化とパラレルである。日本の帝国主義政策の特徴は支配地域に対し日本語教育を強制したという転移ある。西洋から輸入した近代文明を用いて、文化的に負っている大中華や小中華を支配することになったため、正当性の根拠を日本は日本語に求めている。外部に規範を示す場面がほとんどなかったため、原理への意志が弱かった日本が歴史上初めてそういった役を果たさなければならなくなって、選んだのが言語である(戦後、経済大国になった際、その原理は「日本式経営」になる)。言語に優劣などない以上、それは、実際には、何もないと言っているのに等しい。西洋のものだろうと、中国のものだろうと、日本語を通せば、日本独自のものになる。このように日本語は優秀である以上、東亜の共通語として日本語を普及しなければならない。それには、混乱を招かないように、方言は教育現場から一掃し、標準化した正しい日本語を教授させる必要がある。日本語は天皇制以上のイデオロギーである。日本文学は、近代以降、ほかの文学以上に、帝国主義に加担している。一九七五年一〇月三一日、昭和天皇は、日本記者クラブとの記者会見において、「戦争責任」に関連する質問に対して「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」と答えている。

 

It is a dark time for the

Rebellion. Although the Death

Star has been destroyed,

Imperial troops have driven the

Rebel forces from their hidden

base and pursued them across

the galaxy.

Evading the dreaded Imperial

Starfleet, a group of freedom

fighters led by Luke Skywalker

has established a new secret

base on the remote ice world

of Hoth.

The evil lord Darth Vader,

obsessed with finding young

Skywalker, has dispatched

thousands of remote probes into

the far reaches of space...

(George Lucas “Star Wars Episode V The Empire Strikes Back”)

 

 日本語を習得し、試験をパスすれば、日本人以外の植民地の住民でも高級官僚や軍人、政治家になることができる。これでは帝国日本が、下手をすれば、台湾人や朝鮮人に乗っとられかねない。それを防ぐには、試験問題に天皇を中心とした皇国史観を繁栄させ、日本人の優秀性を植民地の連中に吹きこめばよい。皇国日本で立身出世するには、天皇制イデオロギーに従属しなくてはならない。

 駒込武は、「教育における『内』と『外』()(佐藤秀夫編『教育の歴史』所収)において、日本語教育が<儀式>だったと次のように述べている。

 

 植民地・占領地において、日本語教育は一種の<儀式>であったということもできる。それはまず何よりも身体的なレベルでの強制であり、身体的な感覚を通じて「同情同感」のきずな、一体感を醸成するための装置だった。さらに、日本語教育重視の方針のよって何を教えるのかという内容の問題が棚上げされたことに象徴されるように、<儀式>的な行為が何を意味するのかという問題は限りなくあいまいにされる傾向があった。<儀式>の意味への疑問が封じられる中で、共感のための共感、同調のための同調への圧力は自己増殖的に高まり、<儀式>の拒否は排除のための十分な口実となっていく。学校儀式と日本語教育に違いがあったとすれば、日本語教育が、日常的で惰性的な時間の中で延々と続く<儀式>であったということだろう。

 考えてみれば、植民地教育のこうした特徴は植民地支配に特有な現象というよりも、近代日本の学校の本質的な側面を濃縮して表現したものとみることもできるかもしれない。欧米の植民地支配の場合は、宣教師達が学校教育の外で自ら「文明の宗教」と信ずるキリスト教をアグレッシヴに布教していたが、天皇制が擬似的な<国教>の地位を占めていた日本の場合は、学校が半ば<教会>の役割も兼ねていた。社会的な亀裂が顕著だった植民地支配の場合、そうした学校の<儀式>的な機能がさらに形式化しながら拡大していったと考えられるのである。

 

 近代日本の歴史は正統性の欠落を極端な儀式化によって覆い隠そうとすることで貫かれている。制度は儀式にすり替わる。儀式を通じて日本の精神が身体化されるという倒錯した教育に基づいて、日本「国民」は邁進していく。すべてを儀式化してしまうために、制度を変更しても、何も変わらない。天皇を現人神とする皇国史観は日本語の次に帝国主義維持のために持ち出されたわけだが、これは近代の理念、すなわち神の死に反する。近代日本は、国民国家・資本主義体制の根幹にかかわる神の死さえも、たんなる儀式にしてしまう。

 学校がイデオロギー対立の場となることは、言うまでも泣く、日本に限った現象ではない。フランスでは、学校施設内のムスリマのスカーフ着用の是非が論争となり、アメリカに至っては、学校現場におけるダーウィニズム教育や星条旗への誓いが法廷で争われている。さらに、イスラム教徒が多いタイの南部三県、すなわちナラーティワート県・ヤラー県・パッターニー県では、二〇〇五年現在、月に四〇人の割合でテロや暗殺による犠牲者が出て、マレーシアに難民が流出している。最も狙われているのが教師である。政教分離に基づいた教育を仏教徒の多い教師たちは指導しているが、その点がイスラム主義者には気に入らない。政府公認の上で、教師は拳銃などで武装して、自衛している。これには、宗教対立と言うよりも、軍と警察、暴力組織などの利権抗争が絡んでいる。近代のイデオロギーはその普及に際して学校を重要な機関とするため、世界的に、依然として議論の対象となっている。

 もっとも、鎌倉幕府の末期など例外的な時期を除いて、武家社会を通じて、ミカドはほとんど象徴的な存在にすぎない。中華に対する周辺だった日本は二重性を体現しており、二重権力構造はお手のものである。鎌倉時代以降、征夷大将軍や関白が政治の事件を握っている。ミカドには、延暦寺を焼き打ちにしたり、朝鮮出兵したり、生類憐みの令を出したりする権力はない。武士と侍は、もともと、同意語ではない。今では、侍が野武士のイメージで語られることが多い。しかし、摂関時代、武士は朝廷ならびに国衙の抱える民兵や非中央権力勢力の武装集団であるのに対し、侍は「伺候する」の意味がある「さぶらひ」であり、主君の側近に仕える六位以下の近侍を指す。官吏の位で、五位と六位の間には大きな差があり、六位以下の家に生まれたものは、よほどのことがない限り、出世できない。「どんな社会にも多目的型の人間がいる。アメリカでは弁護士、ロシアではコミッサール、イギリスでは政治家、フランスでは作家、日本ではサムライ」(エリック・ホッファー『波止場日記』)。武士は、自らの支配している土地の所有権を明確にするために、その土地の名称を名字、あるいは苗字として名乗り、それを継承している。そのため、今日、朝鮮半島と違い、膨大な数の「姓」が日本にある。勝手に名乗れる苗字と違い、本来の姓、すなわち「かばね」は、古代の大和王権において、有力な氏族に天皇から与えられていた格式を示すものである。伴、源、平、藤、橘などがあり、特に、藤は藤原氏のことである。姓としては、臣、君()、連、造、直、首、渡来人系には、忌寸、村主、史などがあって、「豊臣」は、太政大臣に就任した際、秀吉が後成天皇より受けているのであり、「羽柴」は苗字である。自身を「さぶらひ」になぞらえていたかもしれないけれども、戦後の象徴天皇制を糾弾して切腹する三島由紀夫の行為は矛盾極まりないだろう。

 中上が。『千年の愉楽』の中で、「路地」の人々以外のサバルタンを書くとき、自分自身を掘り起こす作家であることを印象付ける。中上は、率直に言って、「路地」の人々以外を書けない。中上の描くアイヌや日系人にそれを感じることはできない。小林裕子は、『「時代が終り、時代が始まる」─他者との共振と合一─』の中で、「いわば、語る対象の中に、異質性ではなく同質性を見出し、それを自己の中に取り込み、その自己同一化の幻視を表現のモチーフとする、そこから中上健次のエッセイは生み出されるのである。強烈なナルシシズムの発想である。小説の場合も同様のことが言えるだろう」と指摘している。八三年から八五年にかけて断続的に連載された長編紀行エッセイ『スパニッシュ・キャラバンを捜して』において、中上は積極的に世界各地のサバルタンをたどっている。けれども、「語る対象の中に、異質性ではなく同質性を見出し、それを自己の中に取り込み、その自己同一化の幻視を表現のモチーフとする」姿勢はここにも依然としてある。これは以後の作品も引き続き見られるが、中上特有の問題ではない。日本近代文学の小説家全般に言える傾向だけでなく、大東亜共栄圏に代表される日本の帝国主義の特徴である。それは中上以降の作家にも依然として続いている。まず、大東亜共栄圏における日本語の役割を省みるべきだろう。さらに、路地出身者も路地を離れた世界で描かれると、法螺話の主人公になってしまう。一九九〇年から連載が始まった未完の小説『大洪水』で鉄男がシンガポールに高飛びして、海運王ミスター・チンと出会い、その国を牛耳る役割を与えられるという設定は梶原一騎かさいとうたかを、本宮ひろ志の劇画のようだ。こうした世界は世界から見下されない大物になりたいという「俺帝国主義」(えのきどいちろう)にほかならない。実際、一九九〇年、中上がマンガ『南回帰船』の原作をてがけたのも不思議ではない。それは、残念ながら、マンガ史において中上健次に相当する大友克洋を超える作品ではない。確かに、海産物や薬物、人身売買など数多くの利権をめぐる争いで、現在に至るまで、スケールの違いこそあれ、浜村龍造のような人物は少なくない。路地から離れて以降の中上小説にはこうした傾向が顕著であるが、これらの諸問題はあくまでも路地がフォースだということを示している。

 

Carry me Caravan take me away

Take me to Portugal, take me to Spain

Andalusia with fields full of grain

I have to see you again and again

 

Take me, Spanish Caravan

Yes, I know you can

 

Trade winds find Galleons lost in the sea

I know where treasure is waiting for me

Silver and gold in the mountains of Spain

I have to see you again and again

 

Take me, Spanish Caravan

Yes, I know you can

(The Doors “Spanish Caravan”)

 

六 極東に位置する

 

We were talking-about the space between us all

And the people-who hide themselves behind a wall of illusion

Never glimpse the truth-then it's far too late-when they pass away.

We were talking-about the love we all could share-when we find it

To try our best to hold it there-with our love

With our love-we could save the world-if they only knew.

Try to realize it's all within yourself

No-one else can make you change

And to see you're really only very small,

And life flows within you and without you.

We were talking-about the love that's gone so cold and the people,

 

Who gain the world and lose their soul-

They don't know-they can't see-are you one of them?

When you've seen beyond yourself-then you may find, peace of mind,

Is waiting there-

And the time will come when you see

we're all one, and life flows on within you and without you. 

The Beatles “Within You Without You

 

 中上は、『時代が終り、時代が始まる』において、「インドでも在り、おそらく形を変えて対、ビルマ、ベトナム、マレーシアにも在る『ラーマーヤナ』の祖形を日本の熊野で私が書きついでいるのではないか」と言い、インドを意識している。アジア的であるとしても、中上のサーガはインド的ではない。アルトゥール・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェに影響を与えたインド古典は、成立過程が何世紀にも渡るため、インダス川やガンジス川の流れのように、極めてゆっくりとし、蛇が自分よりも大きなものを飲みこむように、膨大な量に膨れ上がると同時に、同じタイトルであっても、各地や各宗教に応じて無数のヴァージョンが存在する。インド文化圏全体を内包した物語である。通例、古代文明には神話があるが、神話の中に歴史が埋めこまれているのに対し、インドの神話は歴史を排除している。歴史なき神話の集合体の中に歴史がある。歴史記述がない反面、体系性が強い。日本における仏教は中国を経由しているため、中国化しているが、中国の儒教や道教は、インドから仏教が伝来した際、その体系性にショックを受け、体系として整理・構築されている。

 一般にカースト制と呼ばれているが、実際には、「ヴァルナ()」と「ジャーティ(出自)」の混合した社会の集団構成である。前者は紀元前一五〇〇年くらいにインド亜大陸に入ってきたアーリア人が先住民族を支配した際に生まれた身分秩序であり、後者はそれを大枠にして、階層性・職業・地域性・内婚制に結びついて細分化した身分制であり、四ヴァルナの下の階層、いわゆる指定カーストも含まれる。ヒンドゥー教徒主体の村では、二〇から三〇のジャーディが存在し、地域によっては、ジャイナ教徒など他の信者が組み込まれている場合もある。「地域性と言うのは、ヴァルナが全インド的なものであって、どこに行っても四つのヴァルナは存在し、ヒンドゥー教社会である限り、そうなのだが、一つのジャーティは、ごく限られた小さな地方にしか存在しないのである。同じ洗濯屋さんの集団でも、デリーの洗濯屋さんはドービーといってヒンディー語を話し、マドラスの洗濯屋さんはワンナーンといってタミル語を話し、互いに結婚をしない。ジャーティが違うのであるな」(辛島昇『南アジアの文化を学ぶ』)。インドの四ヴァルナはよく知られているけれども、日本の士農工商と違い、バラモン(司祭階層)・クシャトリヤ(王族・戦士階層)・ヴァイシャ(商人階層)・シュードラ(農民階層)であり、農民が商人の下に位置する。仏典はこのヴァルナ性を否定してはいない。バラモンとクシャトリヤの地位を逆転しただけである。四ヴァルナは、資本主義の浸透により新たな職業の登場や都市人口の増加に伴いなくなりつつあるものの、旧不可触民への差別は依然として続いている。また、この階層の序列は日本などとも異なっている。江戸時代において、門番などの雑役に従事した中間(仲間)は武士階級に属しているが、インドでは、だいたい不浄に属している。ジャーディ制度の誕生には、ガンジス川流域で、アレクサンドロスの西北インド侵略後に成立した最初の統一国家マウリヤ朝から四〇〇年前後に北インドを統一したグプタ朝にかけて、国家統一の秩序形成に伴い、アーリア人と先住民との混血が進み、農耕が発達していく中、力をつけたシュードラが中核となり新しい農村社会が形成されたことが関連している。農耕を中心とした国家統一と同時に、不可触民制も生まれる。実際、歴史的に、不可触民は四ヴァルナの住む村の外側に居住している。この制度の撤廃を主張するマハトマ・ガンディーが土への回帰ではなく、糸車を紡いだのも当然だろう。内婚制は依然として強く、新聞の日曜版には膨大な量の求婚広告が掲載されている。年齢や教育、職業、容姿、ゴートラ、誕生星、言語、宗教、菜食か否か、異ジャーティ間婚の可否など詳細に亘っている。ジャーディを一つの体型にまとめることは不可能である。ヴァルナとジャーディで共通なバラモンにしても、大きく三つのセクトに分かれ、さらにサブセクトに細分化している。バラモン間にはゴートラという外婚制があり、同じゴートラに属するものは結婚できない。ジャーティの上下関係は地域によって異なるため、それは食事のルールを通じて認識される。一般的に、上位のジャーティほど菜食を堅持する傾向にあるが、相対的な関係は会食できるか否か、水から調理したカッチャーと呼ばれる料理を受け取れるか否か、パッカーという揚げ物を授受できるか否かで判断される。上位ジャーティは、概して、下位と会食したがらない。また、カッチャーは同等のジャーティ間でしか受け取りがないが、パッカーは汚れが少ない、すなわち火を通せば安全として浄に属する上中ジャーティ間でやりとりがある。しかし、この二つのジャーディも不浄に属する下層とはパッカーでさえ受けつけない。今日のインド映画でも、ヒンドゥー=ムスリムの対立と並んで、ヒンドゥー・カースト=アウト・カーストの衝突がよく描かれている。インドには、このほかにも、存在していることは認知できるものの、それを正確に言い表すことはできないものが多い。インドにいくつの言語があるのか誰も明らかにできない。宗教の数も多く、ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教、仏教、ユダヤ教などがある。そもそもヒンドゥー教を民族宗教と把握すべきではない。インド亜大陸は全ヨーロッパより広く、インド文化圏──インド、パキスタン、バングラデッシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、見方によれば、東南アジア全域とチベットまで──はさらに広がる。

 

 聖バガヴァットはいった。

 意(マナス)をわたしに向け、つねに実修を修めて、最高の信心をそなえてわたしを信奉する者は、最もよく実修を修めた者と、わたしには考えられる。

 しかしながら、不滅、不可表現、非顕現、あらゆる場所に遍満し、不可思議、不変、不動、永遠なものを信奉する者、

 すべての感覚器官を抑制し、すべての対象を平等に見て、一切有情の利益を喜ぶ者、─彼らは必ずわたしのもとに到達する。

 心を非顕現なものに専念させる者の苦労は、さらに大きい。なぜなら、非顕現なものの境涯は、肉体をもつ者には到達しがたいから。

 これに対して、すべての行為をわたしにささげて、わたしに専念し、ひたむきな実修をもって、わたしを瞑想しながら信奉し、

 心をわたしにのみ向ける者を、プリターの子よ、わたしは死の輪廻海から、ただちに救い出す。

 心をわたしにのみ向けよ。理性をわたしに専念させよ。そのあとで、おまえはわたしのなかに宿ることになろう。(これについては)少しも疑いはない。

 ダナンジャヤよ、もしおまえが確固としてわたしに心を集中できないなら、反復的心統一の実修によって、わたしのもとに到達するように望め。

 もし、おまえが反復的心統一さえできないならば、わたしのための行為に専念せよ。わたしのための行為を行なうだけでも、おまえは完成に到達しうる。

 もし、わたしへの誠信によりながら、これさえおまえにできないならば、自己〔心〕を統御して、あらゆる行為の結果を捨離せよ。

 なぜなら、知識は反復的心統一よりすぐれ、瞑想は知識にまさり、行為の結果を捨離することは、瞑想よりすぐれ、捨離からただちに寂静が生ずるから。

 すべての有情に対して憎しみをもたず、友情に富み、あわれみの情にあふれ、苦楽に対して心を等しく保ち、忍耐強く、利欲と我執を離れ、

 つねに心が満ち足り、実修を行ない、心を統一し、強固な決意をもち、意と理性とをわたしに向け、誠信をささげる者、彼はわたしにとって愛しい者である。

 世間からも嫌われず、また世間をもわずらわさず、喜びと怒りとおそれと悲しみを脱した者、彼はわたしにとって愛しい者である。

 少しも期待をいだかず、清浄であって用意周到、公平であって動揺を離れ、すべての意図された行為を捨てて、わたしに誠信をささげる者、彼はわたしにとって愛しい者である。

  喜ばず、憎まず、悲しまず、期待せず、善行・悪行を捨離して誠信をささげる者、彼はわたしにとって愛しい者である。

 敵と友とに対して平等、名誉・不名誉とに対してもまた同じく、寒暑、苦楽に対して心を等しく保ち、執着を脱し、

 非難と賞讃とを等しくみて、沈黙し、何ものにも満足し、住居(すまい)をもたず、堅固な心で、誠信をささげる者、彼はわたしにとって愛しい者である。

 しかし、いままで述べた不死の(状態に到達させる)この正法を信奉し、信仰心をもってわたしに専念し、誠信をささげる者、彼はわたしにとってとくに愛しい者である。

(『バガヴァッド・ギーター』)

 

 世界的に、文化に行き詰まりを覚えると、しばしば、伝統回帰が起きる。一九六〇年代後半から七〇年代、アジアに対する関心は「日本人はどこからきたのか」というアイデンティティ探求、八〇年代には、文化人類学的あるいは比較文化的へと変容し、さらに、九〇年代に入ると、グローバリゼーションや環境問題など地球規模の諸問題への一つの方策として注目されている。中上は、ある意味で、八〇年代以後の時代的な潮流に対応できてはいない。

 極東に位置する日本人の唱える「大東亜共栄圏」など、ほかのアジア人から見れば、法螺話以外にありえない。中国やインドの多様な複雑さは日本的枠組みで把握することは不可能である。中央アジアの錯綜さも驚くばかりである。さらに、東南アジアもつかみにくい。「たとえばタイ。低湿地を人工的に農地化し、それをいま工業化しようとしている。日本の何百年かの歴史を、百年ぐらいに圧縮して見る気分。あるいはインドネシア。火山国で、地味が豊かで農業生産性が高く人口が密集している。ヒンズー教、仏教、イスラム教と、異文化が流入して、それが多様化してインドネシア化する。こちらは日本の歴史をひろげた気分。もちろんそれらが日本と異質なことは当然。ASEANを見る視点でのイメージだけの話。イメージと言って、デザインと言っていない。APECで日本のリーダーシップなどと言われるが、『大東亜共栄圏』のことがあるので、あまりリーダーシップと言ってほしくない。それだと、米国や中国のような大国政治の構図のなかでのデザインになる。デザインを考え出すと文化よりは政治で、力の地図をえがきかねぬ。それよりは、文化のイメージをえがくほうが安全」(森毅『二十一世紀のアジア』)

 

 晩年の湯川秀樹さんとお喋りしたときに、話がたまたま、『水滸伝』の梁山泊の指導者宋江の話になったことがある。湯川さんに言わせると、「宋江ちゅうのは、どこが偉いかわからんやっちゃ。どうも偉いところが三つあるらしい。第一に親孝行、捕まるとわかったところでも親孝行しよる。これは、日本人にはわからんけど、なにか一つ親孝行といった義を持っていて、それで打算を離れるのがええのかもしれん。第二にワイロの使い方がうまい。味方が牢に入れられても、うまいこと裏から手ェ廻して、出してしまいおる。第三に、なにやらボヤーンとしておって、個性的な豪傑どもの上をユラユラしとる。これは、なかなか出来んこっちゃ」。

 でも、ただボヤーンとしているだけではあるまい。八方に気を配っていて、その気を配っているところを見せないのだろう。

 そもそも、集団がうまく進むには、活性と抑制がバランスをとっていなければなるまい。活性だけでブレーキがなければ暴走する。集団は自動車でないので、アクセルとブレーキを、指導者がふめばよいものではない。それに、全部が指導者の制御にかかっていたりしては、集団内部に自己責任が希薄になる。責任というのは、部署を守ることではない。部署を守るというのは、「官僚的責任」というだけのことだ。

 だから、集団が一方向に整然と「機械のように」進んだりせずに、ズッコケやらシラケやらをうまく組みこんで、自然に動くのがいいと思う。指導者の思いどおりの「集団」なんてのは、少なくとも長期的には破綻する。だれの思いどおりにもいかないのが、集団というものだ。

 管理者だけに責任を押しつけたりしては、二重によくない。管理者が判断を誤るという可能性はいつでもあるし、管理者以外が判断しなくなる。

 だから、管理というのは、思いどおりにならないし、思いどおりにいっては危険なものだと思う。それだけに、すべての徴候に気をつけ、さまざまの人間の微妙なあり方、活性と抑制の双方のバランスを計量するのが、管理というものなのだろう。

(森毅『集団なんて所詮勝手もんの集まりだ』)

 

七 破産せよ、と中上は言った

 

Luke Skywalker has returned to

his home planet of Tatooine in

an attempt to rescue his

friend Han Solo from the

clutches of the vile gangster

Jabba the Hutt.

Little does Luke know that the

GALACTIC EMPIRE has secretly

begun construction on a new

armored space station even

more powerful than the first

dreaded Death Star.

When completed, this ultimate

weapon will spell certain doom

for the small band of rebels

struggling to restore freedom

to the galaxy....

(George Lucas “Star Wars Episode VI Return Of The Jedi”)

 

 中上作品は欧米へのキャッチ・アップに邁進してきた日本が途上国から先進国へと転換する時期を最も具現化している。中上は日本近代文学が基づいてきたフォースの破産を示し、日本近代文学の破産管財人として振舞う。中上がその破産処理を行ってくれたおかげで、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』に始まる一九八〇年代のポストモダン文学の登場を可能にしている。破産には免責・復権を通じた救済の側面があるが、日本文学は中上によって再生されている。一九六〇年、第三次産業従事者の割合は全産業の中で最大になり、八〇年代前半には、第一次産業従事者は一〇%をきっている。イギリスは一八三〇年代にこの比率に達しているが、ルイ・オーギュスト・ブランキがその社会変動を「産業革命(La révolution industrielle)」と呼んだのは一八三七年のことである。一九八五年九月二二日のプラザ合意によって円高ドル安が誘導され、日本経済はバブル景気が始まる。株式と土地への異常な投機熱が日本中に蔓延し、「土地神話」を信じて、「財テク」に走っている。戦後、土地はたんなる地面ではなく、金を意味する。農地改革は大幅な土地の個人所有を可能にしたが、その土地のエンクロージャーによって経済的力をつけ、政治力も発揮できる。戦後の成り上がり者の多くはそうした過程を辿っている。土地を担保に、より正確には土地を媒介にしてすべての産業がなれあい、成長するのが戦後日本の姿である。

 

 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」。

(『マタイによる福音書』第七章二四─二七節)

 

 一九八五年二月二七日、田中角栄は脳梗塞で倒れ、「闇将軍」としての影響力を失う。その二〇日前、「金竹小」、すなわち金丸信・竹下登・小沢一郎の三人が中心となり、田中派の大部分を引き連れて、創政会を結成している。銀行は無審査に近い融資を続け、暴力団や右翼による地上げが横行し、採算性が欠如した開発・建築が進められる。一九八八年九月一九日に昭和天皇が吐血し、翌年一月七日になくなる。その間、日本中に「自粛」の嵐が吹き荒れる。テレビのバラエティ番組の放映、西武球場の花火の打ち上げ、中日ドラゴンズのリーグ優勝パレード、明治神宮野球大会、井上陽水出演の日産自動車:セフィーロのCMで「みなさんお元気ですか?」の音声、五木ひろしの結婚披露宴が中止になっている。死去後も、公式行事や儀式が自粛され、大相撲初場所の一日延期、全国高校ラグビー決勝がされる。一週間、TVCMなしで追悼特番のみを放送し続けた結果、NHK教育テレビが高い視聴率を獲得し、レンタル・ビデオ店に客が押し寄せている。一九八九年一一月九日、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が解体して、バブル経済がはじけると、ポストモダン文学も終焉を迎える。九〇年に、田中角栄も政界から引退していく。土地の価格は暴落し、証券市場は冷えきり、デフレが進み、政府・自治体への税収は落ちこんでいる。労働者は大量に解雇され、経済問題が原因と見られる自殺者が急増し、多くの企業が倒産・合併したが、不良債権を抱えた金融機関もその例外ではない。にもかかわらず、この事態を招いた政治家・官僚・経営者・専門家は責任をとらず、うまくやりすごしている。一九五〇年の池田勇人のように、「中小企業者が倒産し、思いあまって自殺するようなことがあってもやむをえない」や「私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副ったほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と放言することもなく、ただなかったことにしている。九二年八月一二日、腎臓癌との闘病を続けていた中上健次が永眠する。小沢一郎は自分を含めた経世会=竹下派七奉行のうち羽田孜、渡部恒三、奥田敬和を味方につけ、一九九三年、自民党から羽田派のメンバーが離党して島崎藤村の小説のタイトルを思い起こす新生党を結党する。新生党は日本新党などと七党で元田中派の細川護熙を首班とする連立政権を樹立し、自民党は下野する。自民党は、対抗措置として、復党した河野洋平を総裁に選び、三木武夫直径の鯨岡兵輔の愛弟子河野洋平は総理になったことのない唯一の自民党総裁である。同年一二月一六日、田中角栄が死去する。小沢一郎の強引な手法がたたり、翌年には、社会党と連立して自民党は再び政権を奪う。社会党の村山富市政権の一九九五年、一月に、阪神淡路大震災、三月には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、世界を震撼させる。八月一五日の戦後五〇周年記念式典において、村山首相は閣議決定に基づき、日本の帝国主義支配について公式に謝罪し、以降、この村山談話は政府の公式の歴史的見解となる。一八九九年に明治政府が法律によって差別を制度化した北海道旧土人保護法ならびに一九三四年にもなって愚かにも制定された旭川市旧土人保護地処分法が、一九九七年七月一日、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律の施行に伴い、廃止されている。だが、アイヌ語を公用語として認める気はない。被差別部落問題に関して、政府は建前として解消を試みてきたが、アイヌとハンセン病患者には、こともあろうに、法を通じた新たな差別を生み出している。これは権利の問題ではない。もはや尊厳をどうするかだ。一九世紀、国民国家体制が登場し、権利が注目されたが、二〇世紀は尊厳が問われた時代である。差別は一九世紀の権利のみならず、二〇世紀には尊厳の問題となっている。一九九八年、社会党が政権から離脱し、以後、自民党はさまざまな党と連立しながら、与党の地位を維持する反面、戦後政治の大部分を担ってきた保守本流も、事実上、瓦解していく。その自社さ連立政権が終わった年、経済問題を苦にした人を中心に自殺者がとうとう三万人を超え、現在に至るまで、その三万人を下ることがない。しかも、日本人の死亡原因のトップは自殺である。一九九九年、石原慎太郎が東京都知事に、二〇〇〇年、田中康夫長野県知事にそれぞれ当選している。日本中の均質化は地方の問題を解決せず、中央集権化を解体させなければならないことに人々は気がついたものの、その実現は遅々として進まない。しかも、安い人件費を求めて、企業は生産拠点を中国や東南アジアに移している。悪い経済状態は、実は、マイナス面だけではない。近年、事実上のIMFの統制下にあるアルゼンチンだが、最近、ブエノスアイレスは映画やテレビ、CM撮影に世界で最も使われている都市である。絶望的な系座状況のため、逆に、安い人件費、ヨーロッパ的な町並み、協力的な行政・軍・警察と大掛かりな撮影にもってこいの条件がそろい、貴重な外貨収入をアルゼンチンにもたらしている。いわゆる「失われた一〇年」は不況に強いといわれていた出版業にも及び、自転車操業のような編集・出版に陥り、話題性しかない文学作品が生まれては消えていく。そこには狭い好奇心と浅い知識、体系に乏しい認識が見られるだけである。

 ノーマ・フィールドは、二〇〇五年八月一七日付『朝日新聞』の「キーワードで考える戦後60年」において、「今、他人や社会出来事との関係を拒否することが、新種のアイデンティティーになってはいないか。『関係ないよ』という姿勢を根底に置くアイデンティティーだ」と次のように述べている。

 

 国民の圧倒的多数が、自分は経済的成功を遂げた国家の一員だと信じる社会。日本の国民的アイデンティティーの核を作ってきたこの意識は、「不安でぜいたくな時代」とも呼べるバブル崩壊後にも生き続けている。日常にひそむ抑圧の告発する個人は、この多数派から「私は黙ってこの日常を生きているのに」との迷惑意識を向けられる。

 ()昨年イラクで人質になった3人へのバッシングもそうだ。3人は身近でないイラク人に共感し、個として行動した。それは、無意識の日常を生きたい人々には迷惑なことだった。

 残念ながらこれは、手段であるはずの繁栄が目的化してしまった社会の帰結である。ただし、現状をそれほど絶望的だとは思わない。

 3人が人質にされたとき、日本には、イラク人の協力者と連携しながら解放への道を模索した市民グループがあった。政府の論理とは一線を画す、草の根の連帯だった。

 日本の市民がこういうつながりを持てたのは、平和運動の成果であり、繁栄によって欧米以外の世界を知るようになった成果である。そういう一面もあると考えたい。

 世界は、企業や国家の枠とは別の連帯をますます必要としている。平和と繁栄が可能にする新しいアイデンティティーのありように希望をつなぎたい。

 

 二〇〇一年九月一一日、アルカイダによる同時多発テロという恐るべき出来事が起き、世界を変える。同年一二月二三日、明仁天皇は、六八歳の誕生日に、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言し、皇室と朝鮮半島との関係を公式に認める。ポストモダンが諸領域のクロスオーバーだったとすれば、今は相互浸透になっている。「カオス(chaos)」と「コスモス(cosmos)」、「浸透(osmoses)」の三つの意味を兼ねた「カオスモーズ(Chaosmose)」を提唱したフェリックス・ガタリに倣って、「カオスモダン(Chaosmodern)」と呼ぶべきだろう。けれども、「カオスモダン」にふさわしい文学は登場していない。村上龍や阿部和重など失われた一〇年を清算しようとする作家はいるものの、その小説は中上の晩年の作品のヴァリエーションにすぎない。今では、荒々しく、抗争ともなれば、一歩も引かないドブ板選挙を勝ち抜いた叩き上げの政治家に代わって、「地盤・看板・鞄」を引き継いだ世襲や官僚出身の政治家が国会の多数を占めている。「政策本位」を唱えながら、理不尽な主張にも権力をちらつかせれば、根性もなく、腰を引いてしまう。文学界も同様に、「家の馬鹿息子」や「逃亡奴隷」と軽蔑された生活不能者・性格破綻者にとって代わり、二世や小説家にならなくとも成功したであろう要領のいい作家が力を握っている。幸いにも、下手なことを言って、中上健次にぶん殴られもしない。「三代目、四代目とどんどん馴化して他からの血が入ってこなければ、芸能や文化は劣性化していく。そして行き着く先は文化財として保護しなければならない対象である。今の状況を考えれば、学者の世界だって二代目が有利になる可能性がある。湯川さんや桑原さんは二代目だ。そのうち、保護すべき文化財としての学派などというけったいなものができるのだろうか。もっとも、学者にしても、作家にしても、五代も続いたためしがないのだから、心配はいらぬかもしれない」(森毅『二代目現象は民主化、大衆化が生んだ』)。一九九一年、中上も含めて、文学者たちは連帯して湾岸戦争に反対し、署名アピールを発表したが、二〇〇三年に始まったあからさまな侵略戦争のイラク戦争には連帯していない。この不見識な情勢の中、カオスモダンの文学がメロドラマ的傾向をモチーフにするという中上の先見性はいまだに示唆的である。しかし、ノーマ・フィールドの指摘を受けとめる日本文学はまだない。「批評の方法として最過激の方向が、『事実は復讐する』であるなら、小説の最過激は『事実に復讐する』方向である。()手法などどうでもよい。新しかったものなど一年も経てば読めなくなる。そう私は覚悟しているのである。新聞記事がことごとく怪異譚や説話に見えてくるのは、私があまりに病みすぎて現実感が希薄になっているせいかもしれない」(中上健次『夢の力』)

 

I am the passenger and I ride and I ride

I ride through the city's backsides

I see the stars come out of the sky

Yeah, the bright and hollow sky

You know it looks so good tonight

 

I am the passenger

I stay under glass

I look through my window so bright

I see the stars come out tonight

I see the bright and hollow sky

Over the city's ripped backsides

And everything looks good tonight

Singing la la la la la.. lala la la, la la la la.. lala la la etc

 

Get into the car

We'll be the passenger

We'll ride through the city tonight

We'll see the city's ripped backsides

We'll see the bright and hollow sky

We'll see the stars that shine so bright

Stars made for us tonight

 

Oh, the passenger

How, how he rides

Oh, the passenger

He rides and he rides

He looks through his window

What does he see?

He sees the sign and hollow sky

He sees the stars come out tonight

He sees the city's ripped backsides

He sees the winding ocean drive

And everything was made for you and me

All of it was made for you and me

'Cause it just belongs to you and me

So let's take a ride and see what's mine

Singing la la la la.. lala la la [x3]

 

Oh the passenger

He rides and he rides

He sees things from under glass

He looks through his window side

He sees the things that he knows are his

He sees the bright and hollow sky

He sees the city sleep at night

He sees the stars are out tonight

And all of it is yours and mine

And all of it is yours and mine

So let's ride and ride and ride and ride

Oh, oh, Singing la la la la lalalala

(Iggy Pop “The Passenger”)

 

 「家族の問題も、血縁幻想が強まるのは大正時代からで、神前結婚式もその頃、キリスト教の真似をして、行われるようになった。家族ってよくわからない。血族関係も婚姻関係もない家族のいっぱいあるし、極端に言えばペットも家族だ。近い過去のことを絶対視して、それが抑圧になったらしょうがない。世の中の変化に適応していく人のほうが絶対強い」(森毅『いまの世の中は戦後に次いで面白い』)

〈了〉

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